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サントニーニョはどこからやってきた??

そのサントニーニョはどこからやってきた??

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セブ州最大の祭り「シヌログ」とサントニーニョ

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   毎年1月の第3日曜日、セブで開催される「シヌログ」は全国から観光客が訪れる、ビサヤ地方で最大の宗教的な祭りで、規模では全国一だ。9日間続くシヌログは、「幼きイエス」の聖像、サントニーニョを祝福するもので、セブの下町にあるサントニーニョ教会の野外礼拝堂では早朝の暗いうちから「ノベナ」と呼ばれる盛大なミサが行われる。参加者は赤い服を着せたサントニーニョ像を大事そうに抱えて参加する。「ピット・セニョール! ビバ・サントニーニョ(ようこそセニョール、サントニーニョに栄光を)」のかけ声が教会堂に響きわたる。最終日にはストリートダンスの自由演技や山車(フロート)、ヒガンテ(巨人)人形が市中の目抜き通りをパレードする。このパレードがシヌログのハイライトで、カラフルな衣装をつけた高校生らが、手作りのドラムを力いっぱい打ち鳴らし、トランペットの音に併せて独特のステップで踊るストリートダンスはあふれんばかりのパワーだ。ネグロス島やミンダナオ島からもたくさんのグループが参加する。沿道は見物人でびっしり埋まる。パレードの先頭を飾る女性は学校や地元のミスコンの優勝者で、サントニーニョ像を愛でるかのように、ゆっくりした動作で抱擁したり、頭上にかざしたりしながら笑顔でリズミカルに身体を揺する。「シヌログ」の語源は「川の流れのように動く」という意味のセブアノ語で、サントニーニョ像を掲げ、身体を波のように前後に動かしながら舞うのが本来のシヌログ踊りという。

その昔、「世界一周」のマゼランがセブにやってきた

   さて、セブの人たちから崇(あが)められているこのサントニーニョ像、もともとはスペインの遠征隊長、マゼランがセブに持ち込んだことがその始まりだった。マゼランが海の向こうに目指したのは、当時の貴重品であった胡椒が実るインドの香料島だった。ポルトガル人マゼランは若い頃、マラッカやインドに遠征した経験があり、「西向きに行けば必ずやスパイスの島々に到達できると」という確信をもっていた。東向きのルートをとるポルトガル王に対し、西回りのルートを提案するが相手にされず、しかたなくライバル国スペインの王に掛け合って支持を取り付け、同じく香料に夢をかけた銀行家の資金援助を受けて、西ルート実証のための命がけの航海に挑戦したのだった。
   マゼラン隊はブラジル沖を寒さと食料不足に苦しみながら南下し、1520年3月、ついに現在のマゼラン海峡を越えて太平洋に出、マリアナ諸島を経て、数ヶ月の航行の末にやっとの思いで陸地にたどり着く。しかしそこはインドの香料島でなく後に「フィリピン」と名付けられる島々であった。サマール、レイテに寄港しながら食料が豊富そうなセブに碇をおろした。

そしてマゼランはサントニーニョをセブ王妃に贈った

   マゼラン一行はすぐさま改宗事業に取りかかり、セブ(当時は「ズブ」と呼ばれていた)を治めていた首長、フマボン王とその一族、重臣ら約1300人の改宗と懐柔に成功した。フマボン王に「カルロス」、その王妃には「フワナ」というというスペイン式の洗礼名を与え、そのときフワナ王妃に、洗礼のしるしに贈ったのが赤ん坊のサントニーニョ像であった。王妃はマリア像よりもこの赤ん坊の像を所望し、マゼランが像を贈ると、王妃はこれまでの偶像と取り替えて拝むことを約束し深く感謝したという。これが今まで続くサントニーニョ信仰の起こりとなった。現在のセブ市役所前の観光名所「マゼラン・クロス」がその洗礼場所といわれている。
   改宗に際してはフマボン王に対して、「本国から援軍を送ってマクタン島やマンダウェを支配する王にしてさしあげよう」という口先だけの約束を交わす一方で、沖合の大きな船隊の大砲の空砲を鳴らして驚かしたり、抵抗する村は焼き討ちした上でそこに十字架を立て、原住民がそれまで崇拝していた偶像を焼き払うなどの破壊行為も行った。こうした改宗工作は一方で強い反発を招いた。その最先鋒がマクタン島のラプラプ王だったのである。

マゼラン、マクタン島に死す!

   マゼランは1521年4月27日早朝、セブの沖に碇をおろしてからちょうど20日後に、マクタンの浜辺で地元の首長ラプラプと戦い、あっけなく戦死した。
   戦いの日、服従しようとしないラプラプ王を懲らしめるべくセブからマクタンに向かったマゼランとその兵たちは、中型船に乗り換えて夜明け前に岸辺を目指した。しかし干潮のため船は岸に近づけなかった。マゼラン側はラプラプに「今降伏するならまだ許してやる」と強気の最後通牒を送るが、ラプラプは「来るなら来い。ただ我が方の軍勢がまだそろってないのでしばらく戦闘は待たれたい」とわざと伝えてマゼランに攻撃開始を仕向け、準備万端で待っていた。ここぞとばかりにマゼラン勢は、夜明けと同時に遠浅の浜を膝まで水につかりながら突進した。しかし岸に上がってみると、そこにはなんと、敵の軍勢1500人が待ち構えていた。ラプラプ勢はこん棒や竹槍、弓を手に両翼から襲ってきた。それに対し、火縄銃で武装したマゼラン隊の軍勢はわずか49名。数の上でも勝ち目はなく、1時間あまりの接近戦の末、マゼランは足と顔面に毒矢を受けて倒れたところを、ラプラプの兵に槍と刃でめった突きにされて息絶えたという。
   翌年、出発時5隻だったマゼラン船隊のうちビクトリア号だけが18人とともにアフリカ経由でスペインに帰還する。こうして世界周航の快挙を成し遂げたが、マゼランの亡骸はマクタンに残された。

今度はレガスピがやってきた!

   マゼラン隊の次にセブにやってきたのがレガスピ遠征隊だった。マゼラン隊がスペインに帰還してから40数年が経っていたのは、その後の遠征がことごとく失敗したからだった。レガスピ隊はスペイン本国からではなく植民地メキシコから太平洋を通る短いルートをたどり、1565年、比較的平穏な航海の末、セブに到着した。マゼラン同様、さっそく住民の改宗と居留地の建設に取りかかるが住民は強く反発し、なかなか改宗に応じなかった。このためレガスピは武力にものを言わせて反対住民を村から追っ払った。

レガスピがサントニーニョ像を発見、奇跡を起こす聖像に

   空っぽになった村にスペイン人居住地を作るための地割りをしている最中、ある家からきれいな服を着せられたキリストの子どもの木像が見つかった。現在、セブ大聖堂があるあたりである。信心深いレガスピはこれはきっとマゼラン隊が昔に置いて行った像に違いないと感動し、像の足元に接吻したという。遠征隊に同行していたアウグスチヌス会の神父はさっそくその近くに教会を建て、この像を聖堂に安置したのである。この教会が現在のサントニーニョ教会(バシリカ・デル・サントニーニョ教会)である。原住民は、この像は困ったときに奇跡を起こす力があるとして、マゼラン隊が去った後も深く敬っていたらしい。無病息災、商売繁盛、大漁や豊作、奇跡を招く幸運の守護聖人としてのサントニーニョへの信仰は、レガスピがたまたま民家でその古い像を見つけたことから始まったのだった。

フィリピン各地のサントニーニョ信仰とフィエスタ

   サントニーニョといえばセブが全国的に有名で、像をお土産に買って行く観光客も多い。像は赤い服を着せられサントニーニョ教会の近くの露天でもよく売っている。しかしセブ以外でもビサヤ地方にはこのサントニーニョを大切に守り祝福している地方がいくつかある。
   セブのシヌログ祭りとほぼ同じ時期に開催されるパナイ島イロイロ市の「ディナギャン祭り」もサントニーニョを祝う祭りで、よりダイナミックなパフォーマンスで有名だ。過去にフィリピン観光省から「ベスト観光イベント」に選ばれていて、サントニーニョの恩恵やもたらされた奇跡のストーリーを躍りで表現する。同島アクラン州カリボ町のアティアティハン祭りは、パナイ島に入植したボルネオ島のアティ族の踊りを起源としており全身を真っ黒に塗りたくって踊ることに特徴がある。これもサントニーニョを祝福する祭りだ。同じくビサヤ地方レイテのタクロバン市で6月に催されるピンタドス祭りはボディペイントを施してサント・ニーニョを讃えて踊る。イロイロ市のディナギャン祭り同様、サントニーニョやキリストの奇跡をダンスで表現するものだ。
   またセブのシヌログ祭りと同じ日に、サントニーニョを守護聖人とする町や村ではサントニーニョ像を山車に乗せたり手で抱えて行進する「プロセッション」が行われる。マニラではトンドとパンダカンで行われている。これらの町の守護神はやはりサントニーニョだ。レイテ、セブ、パナイ、マニラとサントニーニョ信仰がある町は不思議と、マゼランとレガスピが通り過ぎた島々と重なっている。
参考: 『航海の記録』(岩波書店)

ナビ・セブ第3号[Navi Cebu Vol.3]より

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