カミギン島の「涙を流す」処女マリア像?
"Weeping" statue of Virgin Mary in Camiguin
北ミンダナオ地方に浮かぶカミギン島。同島カタルマン町の教会に安置されている処女マリア像が左の目から涙を流している姿を地元の人が発見したとして話題になっている。ことの始まりは5月26日の朝、同島、同町リロアン村に住むジェーン・ロケサさんが子どもをつれて教会に行ったところ、子どもが処女マリア像を見つめたままになっていたので不審に思って視線の先を見ると、そこに左目から涙を流れマリア像があったという。また別の信者は、祈りをするマリア像の合わさった手がいつの間にか離れていたとも話している。
NBI副部長に保釈の賄賂を申し出た自称警察官に捜査の焦点に
買春ツアーをあっせんで逮捕の韓国人グループの知人か?
5月21日夜、インターネット上で買春ツアーをあっせんしようとした疑いで国家捜査局(NBI)のおとり捜査で韓国人男性4人が逮捕された事件で、逮捕直後、容疑者側から同局のエリック・イシドロ副部長に対し、200万ペソで保釈してくれるよう賄賂の申し出があったことが明らかになった。イシドロ副部長が申し出を断ると今度は、国家警察(PNP)の身分証を所持した諜報局(RID)職員を名乗るトゥアドレスという男からも同様の申し出があったいう。国家捜査局はこの人物が本物の諜報局職員がどうかの特定を急いでいる。英字紙「セブ・サンスター」が報じた。
女子生徒3人を外国人へ斡旋容疑 セブ、公立学校の女性教師を逮捕
セブ市の公立学校の女性教師が14歳から16歳までの3人の女子生徒をリクルートして、外国人との性行為の手助けをしていたとして、子供の人権侵害の容疑で18日、セブ市の警察に逮捕された。逮捕されたのは、音楽、芸術、保健体育などを11年間にわたって教えてきたフロル・マリー・バリング容疑者(35)。訴えに基づき、子供の権利を守るNPO団体が調査した上、検察当局へ提訴していた。
セブ発の船便時刻表
セブはマニラを並ぶ港湾都市で、ビサヤ地方のハブ港として、マニラはじめビサヤ地方各地にフェリーや高速船が運航している。仕事で忙しい人は船旅は難しいが、時間に余裕がある人は日がな一日、海原を見ながらの旅もいい。
帰国を前にメッセージ 大竹セブ駐在官事務所長
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2013年3月からセブ、レイテ、ボホール、サマール島などに住む日本人、日系人への情報提供や経済、文化活動などに尽力して来た大竹庄治在フィリピン日本大使館セブ出張駐在官事務所長が2年間の任期を終え、3月に帰国する。セブでの経験を振り返り、滞在者や日本からの訪問者へのメッセージを語ってもらった。
大竹さんは外交官生活のうち19年をアフリカ諸国やハイチなどフランス語圏で勤務、アジア圏、英語圏での勤務はセブが初めてだった。「アフリカでは日本人は黒い髪も顔かたちも目立つが、セブでは保護色の中にいるようで目立たなくていいな」というのが着任の初印象だったという。
しかし、セブにも様々な危険がひそみ、日本人があまりに無防備なのに驚いたという。「英語短期留学の学生などが日本と全く同じ気持ちで多機能携帯電話(スマートフォン)を使ったり、携帯型端末を見たりしている。絶好のカモになっているのに気付かない。ジプニーの中で有名携帯型端末を見ていて、ひったくられた例もある」と語る。日本人の被害が相次ぎ、警察も音をあげて被害届を受け付けなくなったという。
セブなどで安全に暮らす要諦として、大竹事務所長は「ここは日本ではない、という自覚を持ち、暗がりや危ない場所は歩かない。囲まれたり、からまれたりしたら刃物が出て来る危険があるということを自覚してほしい」と、日本人が普段から注意力を高める必要を強調した。(セブ支局・麻生雍一郎)
[3月2日のまにら新聞から]
「ナビ・セブ」ニュース [Navi Cebu News] March 3, 2015
米軍側がセブで建立した慰霊碑の碑文に片岡董師団長の名前が誤って記される
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石碑を建立した関係者の一人で、セブ在住の米退役軍人は、マニラ新聞の取材に対し「間違いがあるとの認識はない」と述べ、訂正しないとの考えを示した。日本の遺族らは慰霊に訪れる人が減少していることもあって、木製碑の撤去も視野に今後の対応を検討している。
第1師団は1944年11月から約2カ月、レイテ島リモン峠で米軍とし烈な攻防を続けた。その後、レイテ島から撤退、セブ州タボゴン町イリハンで45年9月、降伏式を執り行った。
レイテ島の激戦で第1師団に所属していた父、八木三郎少尉を亡くした相原公郎さん(71)さんは「突然大きな石碑ができて驚いています」と話す。しかし、相原さんは「イリハンは遺骨が埋葬された墓地ではない。セブ島北部一帯が『墓地』との認識。そこに立つ無数のヤシが戦争による死者の卒塔婆に見えます」と心境を吐露、これまでと変わらず慰霊に訪れる考えを示している。
(鈴木貫太郎)
[12月15日のまにら新聞から]