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『スー・タンを縫いながら』ペラジア・V・ソリヴェン著

『スー・タンを縫いながら』日本占領期を生きたフィリピン女性の回想
ペラジア・V・ソリヴェン著 (段々社、後藤優 訳、2007年)

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   本書を読み終えた時、「一身に愛すること」を体現した女性が確かに存在したことを知り、フィリピンに対する、いや人間に対する見方がまた変わったような気がした。81歳の長寿を全うしたペラジアという一女性の自叙伝でありながら、夫婦や家族、そして神に対する愛の奇跡を身をもって実現した人の心意気が伝わり、良質な映画を見た後のような心地よい感動がいつまでも残った。
   この夫からの不変の愛に照らされて、ペラジアも子供や周囲の人々に対して愛情を注いでゆく。後に大統領になるキリノ議員を下院選挙で破るなどベニトは政治の世界でも頭角を現してゆくが、彼は決して自分の利益のためではなく、選挙民やカトリック教会の利益のために政治を担う人物だった。そのため、いつも家庭が貧しく、ペラジアや子供たちがお互いに家事を分担したり、いろんなアルバイトをしながら生き抜く様子は感動的ですらある。
   やがて日本占領期に入り、ベニトはマニラを撤退した比米軍に加わり、バタアン半島で籠城戦を戦うが日本軍に敗北。「バタアン死の行進」を経て、タルラック州カパスの捕虜収容所に入れられたベニトに会うため、危険を冒して長男と一緒にマニラからカパスまで旅をするペラジア。当時、収容所近辺で薬草のグアバを集めるため、フィリピン捕虜たちによるクアバ特務隊が結成されたが、それに混じっていた夫とついに再会する。その後、夫はやっと釈放されるが、劣悪な収容所生活による栄養失調とマラリアにより本人はすっかり衰弱していた。ベニトは家族水入らずのクリスマスをなんとか過ごした後で、この世を去ってしまう。
   しかし、夫を失った後でも、ペラジアと子供たちの逞しさはどうだろう。長男や次男が教会で従者を務め、長女らが家事を担い、その他の子供たちが買出しや家にあった雑貨店の店守りをする一方、ペラジアはスータンと呼ばれた司祭たちの制服の縫製を請け負って真夜中まで仕事をして生き抜いてゆく。ペラジアの父親が日本兵から拷問されて殺されたり、マニラ市街戦で家を焼かれたり、はたまた、夫の軍人としての未払い給与が偽者の申請によって先に盗まれるなど、何度も困難にぶつかるペラジアたちだったが、その都度、決して人を憎まず、神に感謝しながら、精一杯の努力で困難に立ち向かう。そして生前の夫の善政や世話による恩恵を受けた個人や教会から、岐路に立つ度に、予想もしていなかった金銭的、精神的支援を受ける。
   彼女は本書の最後の方で、子供たちとの支えあいをこう振り返っている。
   「当時の生活を思い出すたびにあれは一つの試練の時代だったと思います。でも私たちは元気に挑戦しました。私たちは何事も心を合わせて取り組み、毎日の仕事や楽しみごとの計画も一同集まって一緒に案を立てました。夕方ロザリオの祈りをすますと皆テーブルを囲んでめいめいその日の出来事や問題などについて発表するのです。私はまずその日の収入を皆に発表し、その額によって次の日の昼と夜の食事を何にするか決めました。・・・・・・この話し合いの時間を通じて私は、子供たち一人ひとりが心も身体もどのように成長しているかをつかむことができました。」
   ここに紹介されているのは、決して子供を自分の所有物として可愛がる母親の姿ではなく、あくまで人生の同志としてお互いに尊敬し合いながら、愛情を注ぎ会う母親と子供たちの姿である。
   ペラジアは夫の死後38年後に、夫との結婚50年目を記念して金婚式を祝っている。当日、教会の祭壇へ向かう通路を最初に進んできたのは彼女の孫たちで、それに子供たちが、それぞれの夫や妻とともに続き、最後に純白の衣装をまとった彼女が花束を胸に進んできたという。
   「一身に愛する」ことを体現した彼女の姿は、当時、その式に列席した参加者たちだけでなく、彼女の存在を知った読者にも深い感動を与えてくれる。

ナビ・マニラ第5号[Navi Manila Vol.5]より

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