リゾートアイランド・セブのこだわり生活情報誌
現在地: Home コラム セブの乗り物と交通 セブ島で走っていた『鉄道』の跡を追って

セブ島で走っていた『鉄道』の跡を追って

by 松本重樹navicebuno3-railway-02

サトウキビを運んだ線路と蒸気機関車

navicebuno3-railway-01
   セブ島は山がちと前号に書いたが、北部、ボゴ市からメデリン町にかけてはサトウキビ畑が連なる平坦な光景が続く。メデリンには1928年創業の精糖工場があり、この工場へ畑で刈り取ったサトウキビを運ぶために周辺にいくつもレールが敷かれていた。2000年代初期までレールを使う作業姿は車道から見え、私も見ているが惜しいことに写真に残していない。トラック輸送に替ってからレールを撤去、現在は工場周りや幹線道路を横切るレールが残るだけである。
   それでも、メデリンの公園には使われたディーゼル気動車が保存されていて当時を伝える。この車体左手下部に製造会社は不明だがアメリカ・オハイオ州ハミルトンと記され、オハイオは日本のホンダが工場進出したように、昔から工業生産が盛んだった。余談になるが、先のアメリカ大統領選で、この州を落とすと当選できないというケネディー以来のジンクスがありオバマもこの州を制し再選された。
   メデリンに戻るが、ディーゼル以前はサトウキビの搾りかす「バガス」と灯油を混ぜて炊いた蒸気機関車を走らせ、それが現在も精糖工場内に野ざらしながら保存されていると聞くが、もし健在なら復元して走らせれば楽しく夢がある。
   蒸気機関車で牽引するサトウキビ列車はセブの隣、ネグロス島が有名で、私がセブに住み始めた頃、日本の知人から「ネグロス島でサトウキビを運ぶ蒸気機関車を写真に撮りたいグループがいるから世話してくれないか」と頼まれたことがあった。その位日本の鉄道マニアには知られた存在だったが、1980年代に姿を消し、煙を吐く雄姿を撮ることは出来なくなった。
   しかし同島北部サガイ市に1925年製造のかなり大きなアメリカ製蒸気機関車が展示保存されている。私も実際に見て手に触れているが、この機関車はネグロス島山間部で伐り出した材木を運んだいわゆる森林鉄道用で、その昔の同島は森林資源が豊富だったことが分かる。

戦前の鉄道はセブ市を中心に南北に走っていた

navicebuno3-railway-04
navicebuno3-railway-05
   鬼籍に入られたが、学徒出陣で海軍に入隊した体験を持つ方がセブに住んでいた。兵隊となって上陸したのがセブ港で、港から歩かされて汽車に乗りセブ市の北、リロアンまで行ったと語り、セブに鉄道があったことを私は初めて知った。乗車した駅はどこかと尋ねたが記憶は薄れ場所を特定出来なかった。
   「幻の駅」は私の頭に長く残っていたが、最近になって1944年米軍作成のセブ市の地図を見つけ、当時の市内を走る路線と「セブ市駅」の所在場所がようやく分かった。この地図は戦前の海岸線の様子も読み取れ、現在SMモールが建つ以前の海域や、本誌創刊号に書いた「海軍201航空隊セブ基地」の位置も記されている。
   地図によると戦前のセブ市駅は戦火をくぐり抜けたセブ州庁舎からオスメニャ大通りをダウン・タウンに向かって南下、「ハイウェイ」と呼ばれる幹線道路と次のサンシャンコ通りとの中間に位置していたことが分かる。ここには現在、モールが建ち、そこから南方面行きバスターミナルにかけての一帯が駅構内で、当時の構内を写した写真には後背地の山が今と変わらぬ稜線で写っている。また、分岐線が現在のカルボン市場そばの発電所まで延び、セブ市駅は入れ替え線を含めると構内に5本の線路を持つ堂々とした操車場でもあった。
   セブ市駅からは海岸線に沿って南はアルガオ町まで約67キロ、北はダナオ市まで約29キロ、計約96キロのレールが敷かれ、現在のフィリピン国鉄の前身「フィリピン鉄道株式会社」セブ支社が運行していた。同社は戦前から戦後にかけてルソン島ではマニラから北にサンフェルナンド(266キロ)、南はレガスピ(468キロ)まで、またパナイ島のイロイロ-ロハス間(116キロ)に路線を持っていた。現在これらの路線は、サンフェルナンド線、パナイ線は廃止、レガスピ線が、台風被害や脱線事故にもめげずにレガスピ手前の駅まで営業している。
   私は1980年代半ば、レガスピ方面からマニラまで夜行列車に乗ったことがあり、線路保守が悪く寝台車で横になると揺れで放り出される始末、普通の座席に変えてもらって乗車を続けた。
   車内はガラガラ、投石除けの窓の金網が印象的で、裸電球が一つ灯る車内は侘しく、駅に停車すると深夜にも関わらず物売りが車内に来て賑やかになるのを繰り返しながら真っ暗な中を列車はトボトボと進む。グッスリ寝込んで早朝に目を覚ますとマニラの家屋密集地帯を通過中、軒先スレスレの状態に驚き、趣のある終着駅「トゥトゥバン」に着いた時は妙にホッとした。

いにしえのセブの鉄道にまつわる話など

navicebuno3-railway-06
navicebuno3-railway-08
navicebuno3-railway-14
   セブの鉄道は1907年9月16日に運行開始、今も健在なら100年以上の歴史を持つ。この鉄道がセブ市を挟んでアルガオとダナオが線路の発着駅となっていたのは蒸気機関車の燃料となる石炭をどちらも産出したためで、今でもアルガオ方面では採掘する鉱山が残り、山を横断する道路脇には石炭の欠片を見ることがある。
   戦時中にこの石炭と石灰石を原料に南部のサンフェルナンドでセメント工場を操業していたのが旧「小野田セメント」だった。この工場の灯りをセブ市の灯りと間違えて、日本海軍・連合艦隊参謀長一行の乗る飛行艇が工場の沖合に不時着、ゲリラに捕えられた話「海軍乙事件」は前号に書いた。
   1927年の時刻表が残っていて、それによるとセブ-ダナオ間には13の駅があり、1日5往復、片道1時間10分で走っている。これは同区間を自動車で今走っても1時間位はかかるから案外と早いというか、現代の交通渋滞もかなり酷いともいえる。セブ-アルガオ間は距離も長いので24駅あったが、手元の資料では時間数は不明。2時間半位ではないかと想像する。
   このセブ鉄道も惜しいことに戦時中に占領していた日本軍が鉄道を米軍に利用されないようにと米軍上陸前に破壊。しかし米軍は自動車中心の輸送と兵站活動のため日本軍の破壊行為はあまり意味がなかった。破壊された路線は戦後復活することなく、人々の記憶から薄れて行く。しかし、最近この鉄道を見直す動きがあって、元刑務所を利用した博物館「Museo Sugbo」("Sugbo”とはセブの古名)では当時の資料や現在も残る路線の遺構や元駅舎などをまとめたヴィデオを上映している。

鉄道の跡をたどって小さな発見
   セブ市駅の所在が分かる地図を手に入れてから、ある晴れた週末、実際にその近辺に足を運んだ。モールがセブ市駅跡と書いたが、モールの隣に廃屋の木材会社があり、ここは戦前から木材を扱い、当時のスペイン風の建物の写真が残っている。セブ市駅構内前で木材の積み下ろしをするために、モールとこの木材会社の間に線路が敷かれていたと想像、モールの地下にある駐車場出口がそれに当たる。その足で北に向かって線路を想像しながらハイウェイに歩を進めるが、オスメニャ大通りを横切って少し行くと戦前から建つ「サン・カルロス大学」の本校舎がある。この本校舎の敷地は台形状になってハイウェイからサンシャンコ通りまでの一区画を占めている。
   校内に入れてもらい、サンシャンコ側の裏門まで行き体育館の角側、サンシャンコ沿いに建つビルの背面に角度が付いているのを発見。これを地図と照らし合わせると、かつての線路は大学構内を左右に抜けてこのビルの所で角度を付けて曲がっていることが分かった。その足で大学を出て校舎横の通りをサンシャンコに向かって行くと、雑然とした建物が密集する一帯で妙に樹が生えた細長い駐車場を発見。ここと先のモールと大学構内から見た角度の付いたビルを結ぶと、見事に繋がり「ここが線路の跡」と納得。こういうことを「大学でも研究したらどうだ」と、この大学を卒業した人物に話すと「そういう俗な歴史は研究の対象にはならない」といわれてしまった。(了)

ナビ・デ・セブ第3号[Navi de Cebu Vol.3]より

navicebuno3-railway-10 navicebuno3-railway-07
navicebuno3-railway-12 navicebuno3-railway-09
navicebuno3-railway-15
navicebuno3-railway-03
navicebuno3-railway-13
map

bottom-banners-bw 02 bottom-banners-bw 04 greyfooterbutton 03 facebook bottom-banners-bw 08
denwacho 2015 cebumapbanner Cebu City Tour navimanila23 dmsweblogo