リゾートアイランド・セブのこだわり生活情報誌
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不思議のフィリピン

並ぶ人と並ばない人
by ジャピーナッツ

   日本人にとって一列に並ぶというのは、当たり前の話である。例えばデパートのトイレ。それぞれの個室の前で待っていては、先に待っていたのにも関わらず、たまたま中に入っていた人がなかなか出てこないと後から来た人が先に用を足す、なんて理不尽なことになる。しかし一列で並ぶと、先に待っている人から用を足せる。なんて公平で素晴らしい並び方なんだ。最近ではセブのデパートでもそんな並び方をトイレの清掃員が指導してるところもあるが、大抵は早い者勝ちの仁義なき闘いである。ウチの近所のサリサリストアなどは、相当に図々しくないと永遠に買い物などできない。
   ある時、コンビニに入った。会計を待っている人はおらず、暇そうにしていたレジのお兄さんの前に商品を置いた。すると、後から来た客が、もう片方のレジの前に商品を置く。お兄さんは、普通に後から来たお客さんの会計を始めた。こんなことはフィリピンでは当たり前であるから、怒ってはいけない。しかしどうしたらそういうことなるのか、一度じっくりお兄さんにも後から来た客にも聞いてみたいところである。

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Hinay-hinay lang! ヒーナイ・ヒーナイ・ラン !

by ジャピーナッツ

   子供が小さい頃、よく熱を出していた。病院に行くにもまずは遠いし、経済的な問題もあり、すぐに連れては行けなかった。それにこちらの病院に行くのは元気でなければ行けないしね。とりあえずは解熱剤を飲ませ、しばらく様子を見る。近所の人や親戚には、必ず「ああ、もうすぐ歯が生えてくるから。」とか、「くじいたんじゃないの?」と言われる。どうやらこの辺りに住む乳幼児の熱の原因は、この二つしかないらしい。なぜ歯が生えてくると熱が出るのか、またくじいたりすると熱が出るのか未だにわからない。解熱剤を飲ませるとすぐに熱は下がる。しかし薬が切れるとまた上がる。病気の原因もわからず根本的な治療もしていないのだから当たり前なのだけど、3日くらいは解熱剤を4時間ごとに飲ませて様子を見る。それでも熱が下がらないとなると、ヒロットという伝統的なマッサージ師(?)のところに連れて行く。するとやはり「歯が生えてくる」か「くじき」が原因と言われ、植物の入ったココナッツオイルを背中に塗られる。本当にヒロットが効いているのか、単に3~4日が経過し自然に治ったのかは不明だが、だいたいはそれで良くなる。
   熱の原因である「歯が生えてくる」「くじき」に関しては、もしかしたらそんなこともあるのかもしれない、と思わなくもない。が、ある時、息子がおたふく風邪になった。ちょうどお正月明けだった。すると「ラッパの吹き過ぎ」だからおたふく風邪になった、とみんなに言われた。クリスマスや新年には、プープーとやたらうるさいラッパを鳴らす習慣があり、その年には、確かに息子もプープーとやかましく吹いていた。しかしおたふく風邪はウイルスで感染するんじゃないの?と、言ったら、いや、ラッパを吹き過ぎが原因だと、皆、自信満々におっしゃる。ってことは、年末年始には毎年、おたふく風邪患者が続出することになるのかい、と突っ込めば、その通りだと頷く。そして決して薬局ではなく、小さなサリサリストアに売っている青いクリーム状の薬をほっぺたにべったりと付けるのがよい、とされる。現におたふく風邪が流行ると、青いクリームを付けた子供たちがその辺を闊歩している。そんな薬よりウイルスを撒き散らすだけだから、病原体を外に出さないでほしい。息子も私が仕事に行っている間に誰かに、この青いクリームをつけられていた。効果のほどはまったく信じていなかったが、近所の連中があまりに信じているのでそのままにして病院に連れて行ったら、医者に鼻で笑われ、この時、私が住んでいるところはものすごく原始的なところだということを痛感した。
   あと扁桃腺の原因は「チョコレートの食べ過ぎ」というのもよく言われる。チョコレートというより甘いものを食べ過ぎると、喉が炎症を起こす、と一見、そうなの?と信じてしまいそうになるが、これまた真偽のほどはわからない。
   私は割と素直に信じてしまうタイプの人間であったと思う。そう、「~であった。」と過去形だ。何もわからず日本からやって来て、いきなりかなり原始的なコミュニティーで暮らすと、完全に自分の価値観が異端であり、常識的に考えられないこともみんながみんな「それが真実」と言えば、そうなのかなぁ、と思ってしまっていた。何度も何度もそんなことをを繰り返し、その度に、また信じてしまった、と後悔するのだが、またしばらく経つと真顔で自信満々で言われることには、もしかしたらそうなのかも、と思ってしまう、なんてことを十年以上も繰り返し、ようやく「そんなことはない。」ときっぱり言えるようになった。心の中で。
   ある時、久しぶりに会ったフィリピン人女性が、この頃、体調が優れない、と話していた。話を聞く限り、それは長年患っている糖尿病が原因と思われた。しかしその女性は、私に真顔で、「私、きっと誰かに呪われているのよ。」と言った。まぁ、この世界には、今のところ、全てが科学では説明できないこともあり、そういうこともまったく信じていないわけではない。が、とりあえず病気の原因である糖尿病を少しでもよくするために運動を勧めてみたが、その彼女は、「(ブラックマジックで有名な)シキホール島に行けば呪いは解かれるかしら。」と真剣に聞くので、「うん、たぶん。」と答えておいた。
   フィリピンには古くから言い伝えられている植物の薬がたくさんある。私が来た頃には、まだそういう植物もその辺の空き地で手に入り、よく子供が腹を壊すと、大量の葉っぱがおむつの中から出てきて驚いたりしたものだ。しかし最近では、そういう自然の植物も空き地がなくなったため手に入らなくなり、そういう知識を持った人も少なくなってきて本当にもったいないと感じる。
   日本でも話題になった「バナバ茶」。体にいいから、と言って一時、近所で流行ったことがあった。しかし苦いため、みんな砂糖をこれでもか、というほど入れて飲んでいた。却って体に悪いと思うよ、と思ったが、信じるものは救われるのかもしれない。

ナビ・セブ第11号[Navi Cebu Vol.11]より

 ジャピーナッツの自己紹介
   1999年1月に初来比。半年後に移住し2000年にフィリピン人夫と結婚し一族に囲まれたコミュニティーで生活をしている。高校生の頃からフィリピン人に間違われ、日本だけではなく世界中どこを旅してもフィリピン人に間違われていたので、フィリピンに来たことはおそらく運命であったと今は思っている。フィリピン人からは「日本語、うまいね。」と根本的な間違いをされるほど溶け込んでおり、最近では日本人と見破られると何だか悔しくなる。

ジャピーナッツのセブ日記「ヒーナイ・ヒーナイ・ラン! 」

セブ人の「シヌログ」

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   1月のセブといえば「シヌログ」である。しかし実は生で見たことは一度もない。オランゴ環礁のある島に滞在していた時に、生きた豚を船に乗せて次から次へと島を出て行くのを見て何事かと思ったら、みんな「シヌログ」に出かけたのだと後で聞き、「シヌログ」とは豚が関係する祭りなのかとその時は思っていたが、その後あの豚さんたちを売って祭りに行く経費を捻出するらしいことがわかった。
   そこまでして島民が行きたがる「シヌログ」、私も行ってみたいと結婚後、夫に言うと、「人がいっぱいいるだけでスリに遭うのが関の山だ。」とかなり冷めた調子で言われた。夫がだめなら近所に住む親戚だ、と行くなら連れて行ってくれと声をかけてみたが、みんな「シヌログ?行かなーい」とまるで興味がなさそうだったので結局連れて行ってはもらえなかった。私の住んでいるマクタン島はセブ本島とは昔から仲が悪かったというのが関係しているのだろうか、それとも私の住む地区だけのことなのかわからないが「シヌログ」でみんながみんな盛り上がるわけではないということを学び、私は自宅のテレビで「シヌログ」の踊りを延々と一人で観たのだった。続きを読む: ジャピーナッツのセブ日記「ヒーナイ・ヒーナイ・ラン! 」

フィリピンタイムで暮らしてみれば

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by ジャピーナッツ

   私は日本にいた頃から腕時計はしていなかった。日本では正確な時計があちらこちらにあるので特に必要だと思わなかった。例えば電車の中で時間が知りたければ、前に座っている人の腕時計を覗き込めばわかる。私はこのようにして昔から他人の腕時計をアテにして生活する習慣がついていた。
 フィリピンにやって来た当初は、そもそも時間というものに追われていなかったので、今、何時かなんてまったく気にしなかった。約束もする必要がなかった。結婚をして子供が生まれると、社会にそれなりに関わってくるようになり、多少の時間には縛られるようになったが、それでも周りは1~2時間のズレはへっちゃらな「フィリピンタイム」であった。

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内山安雄のフィリピン取材ノート 「働くばかりが能じゃない」

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 海外を取材して歩いた際に、いろんな国でいろんな運転手やガイドを数えきれないくらい雇ってきた。
 いちいち募集をかけたり、選んだりするのが面倒だから、たいていは最初に売り込んできた人間を適当に雇っている。こんないい加減さが災いしてか、とんでもない運転手やガイドをつかまえることも珍しくない。
 とりわけ私にとってホームグラウンドともいうべきフィリピン取材では傑作ともいえる連中に数多く出会ってきた。
 たとえばマニラのトライシクル・ライダーのノエル少年。トライシクルというのは自転車を改造した乗り物で、客をサイドカーに乗せて足でこぐ三輪車のことだ。
 痩せこけ、十四才にしては小柄なノエルとは、マニラ国際空港近くのスラムの取材で知り合った。ストリートチルドレンなので、一度も学校に行っていないという。親に捨てられた兄弟姉妹五人で段ボールハウスで暮らしているのだとか。

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セブ島暮らしの美容室事情

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by ジャピーナッツ

   セブにやって来た当初、髪を切るところを探すのにたいへん苦労をした。セブで一番最初に髪を切ったのは、小さな離島でだった。海の前にプラスティックの椅子をどんと置いて座れとのこと。青年が洋裁用の裁ち鋏で、髪の毛も濡らさず、そのままジャキジャキと切ってくれた。とても丁寧に切ってくれた。そして出来上がった私の髪型を眺めまわして、「シャロン・ストーンみたい!」と、言った。シャロン・ストーンってどんな髪型してたっけって思ったけど、それからその島でウロウロすると、みんなが「シャロン・ストーンみたい!」って言ってくれたので、この島ではシャロン・ストーンみたいってのはお世辞の代名詞みたいなもんなんだろうなぁ、と思ったものだ。日本人の評判も悪くはなかった。そして何より驚いたのが料金であった。日本から来て間もなく、まだフィリピンの物価をわかっていなかった頃だったが、驚く程安かった。

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内山安雄のフィリピン取材ノート「怒っても仕方がない」内山安雄のフィリピン取材ノート 「怒っても仕方がない」

1   日本人が海外で商売に手を染め、現地の従業員を使うとなると、想像以上の苦労があるものだ。
   たとえばセブ島で日本レストランを経営している高田さんのケース──。
   店はとんとん拍子で軌道に乗り、開店15年目にしてフィリピーナの奥さんに切り盛りを任せて、高田さんは悠々自適の暮らしを送っている。と思いきや、始終、従業員の管理で頭を悩ませているとか。
   つい最近も、フィリピン人のチーフの板前さんが、給料を受け取ったのを最後に店に出てこなくなった。連絡を取ろうにも行き先がわからない。見習いの板前さんたちでは用が足りないので、高田さん自らが厨房(ちゅうぼう)に立つ羽目になってしまった。
   やめたのは板前さんだけではない。相前後して最古参のウェートレスが、何の連絡もなく店に出てこなくなった。フィリピンでは少しも珍しいことではないという。
  「10ペソとか20ペソ、日本円にして数十円でも日給が高い店があれば、すぐに移ってしまうんです」。 やめたウェートレスはひとりにとどまらず、給料を手にするやいなや、雪崩を打ったように次々とやめていった。
   高田さんがそのひとりを追及したところ、案の定、日給を1割ほどアップしてくれる、開店して間もない日本レストランに雇われることになったのだという。
   気の荒い高田さんは、すぐさま引き抜きをやったレストランに怒鳴りこんだ。そこには彼の店から移籍したウェートレスたちが勢ぞろいしていた。
   高田さんは、その店にいた日本人のオーナーが開き直るだろう、と予想していた。ところが、相手は意外にも気弱な表情で弁解を始めた。
  「出資したのは私ですが、フィリピン人の女房から見れば、私はお飾りみたいなもんで、何がなんだかさっぱりわからんのですよ」
   日本人オーナーは、女房の一族に主導権を握られて、意外な展開におろおろするばかりらしい。
   高田さんも、かつて同じような経験をしており、商売敵の日本人を怒る気がうせてしまったという。
  「ふとそこの厨房をのぞいたんですが、うちにいた板前がいたのはいうまでもありません。俺を見た奴さん、『シャチョー、ゲンキ?』なんて明るく声をかけてくるんですよ」
   その板前さんが1カ月ほどして、ひょっこり高田さんの店に暗い顔つきで現れた。今いる店の景気が悪くてつぶれそうなので、戻ってきたら、また雇ってくれるかというのだ。
  「この従業員のドライな感覚が、いかにもフィリピン的なんです。日本人の感覚で目くじらを立ててみても仕方がないことでね」。苦笑いした高田さんは、すっかり諦め顔、悟り顔なのである。

navicebu8 shikatanai 02内山 安雄(うちやま・やすお)
   1951年北海道生まれ。慶応義塾大学文学部卒業。在学中より世界を放浪し、ヨーロッパ駐在の旅行添乗員となる。その後、放送作家、脚本家を経て、1980年『不法留学生』で小説家デビュー。しょーこりもなく定期的にアジアを徘徊。ここ数年の著書に『渋谷女子力』(講談社)や新書『常識人の99%は非常識である』(扶桑社新書)、『恋活 40’s LOVE』(講談社)。またフィリピンを題材とした作品もいちばん多く発表している。主著に『大和魂☆マニアーナ 』(光文社)、『オジさんはなぜアジアをめざすのか』(ロコモ-ションパブリッシング)、『フィリピン・フール』 (ハルキ文庫) 、『マニラ・パラダイス』 (ハルキ文庫)、『樹海旅団』(光文社)など。 毎年いちどはセブ・マクタン島のリゾートに数ヶ月間こもって執筆活動をしている。

 ナビ・セブ第8号[Navi Cebu Vol.18]より

「カオン・タ!(食べましょうよ)」のホントの気持ちは?

by ジャピーナッツ

   知り合いの人の家の前を通り過ぎる時、ちょうど食事の時間だったりすると「いっしょに食べましょうよ!」と誘われることが度々ある。フィリピンに来てまだ間もない頃、驚いて「いいです、いいです!」なんて断るんだけど、あまり頑なに断るのも感じが悪いかなぁ、なんて思ったりして、誘われるままに家の中に入り、そのままご飯をご馳走になる、なんてことが幾度もあった。決して裕福な家ではない。もともとお客さんに食べさせようと思って作っている食事でもなく、おそらくその家が普段、食べているもので、食卓の真ん中にご飯がドーンと置いてあって、おかずが一品、一皿に盛られて、「はい!」とプラスティック製の皿を渡され、勝手にご飯とおかずを盛り、手で食べる。断ることの方が何だか無礼な気がして、誘われるままに食べていた私だったけど、ある時、逆の立場で同じような場面があった時、私が誘ったフィリピン人は頑なに断って帰っていった。それから気をつけて見ていると、フィリピン人は自分が何かを食べるときに、そこにいる周りの人には必ず「カオン・タ!(食べましょうよ)」と声をかけている。しかし真に受けて「じゃあ、いただきます。」なんて言う大人はほとんどいなかった。みんな「シギラン!(気にしないで。)」と断っている。もしかしたら、「食べましょう!」というのは社交辞令というかお約束というかで真に受けちゃいけなかった?
   親しいフィリピン人に聞いてみると「そんなことはない。」と言う人と「そうねぇ、図々しいわね。」と言う人と意見が分かれる。結局のところ何が正しいというわけではないようだが、だんだんこちらの生活に慣れてきて、「食べましょうよ!」と言う機会も多くなると、「はい、いただきます。」なんて言う人は、心の中では「え?食べるの?」など驚く。

続きを読む: 「カオン・タ!(食べましょうよ)」のホン...

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