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セブ観音慰霊祭の経緯

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セブ、ダバオは今日まで単独で慰霊祭を開催

   8月15日の第67回「終戦記念日」が今年も終わった。慰霊祭がマニラでは近郊ラグナ州のカリラヤ慰霊公園で、日本大使館主催により行われた。セブではマルコポーロホテルの前庭「セブ観音像」前で開かれた。ダバオでも11日、ミンタル墓地で慰霊祭があり、約200人が参列した。
   大分前のことなので、ご存じない方が多いだろう。さる日本大使が発案し、もう戦後何十年もたったから、日本大使館主催の終戦記念「慰霊祭」は「ルソン島カリラヤ霊園だけにまとめよう」となってしまった経緯がある。

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   しかし、セブとダバオの日本人会はこの指示に従わず、駐在官事務所(通称・領事館)も巻き込んでセブもダバオも毎年、単独で慰霊祭を挙行して今に至っている。さらには、今も日本国を代表して領事館から物故者に「弔辞」が奉げられている。お役所の「ホンネ」と「タテマエ」の乖離(かいり)がここにも見られる。お役所特有のしきたりかもしれない。表向きはセブの場合、今でも慰霊祭は「セブ日本人会」主催となっている。 もっとも、セブの場合「セブ観音奉賛会」から、私が日本人会会長の当時「セブ観音慰霊碑」のお守り・管理を依頼され、引き受けた経緯がある。以来、実質的には「マルコポーロ・ホテル」のハンス総支配人(ドイツ人)の格段のご好意が今も続いている。数年前の雑談で「日本人とドイツ人は、格別の仲だったからね。当然今もそうだよ」とおっしゃっていた。そして、戦死者への熱い思いで毎年、こうして何十人もの日本市民が集まって、慰霊する行為は世界でもまれではないか、と言われたものだ。
 その頃、セブ観音の隣にあった小さな休憩室の中国人主人が「ろうそく」と「線香」を個人で用意して、一年中いつ誰が来ても「お参り」できるような配慮をされていた。先の戦争で、日本は中国に大変な迷惑をかけ、何百万の中国人が戦病死したと記憶している。なぜ、その日本人慰霊にこんな温かい配慮をしていただけるのですか。そう聞いたら「中国人の間で、こうした慰霊行為は見たことがない。日本人は、見も知らない日本兵に50年以上も経って参詣する。そんな温かい心情を尊敬する」との返事があった。
  セブ観音が建立されているホテルの敷地は1944年末ごろ、日本軍のゼロ戦が米軍の戦闘機に撃破され、墜落した場所。観音は1983年、大戦中に駐留したセブ海軍部隊、セブに転戦してきた陸軍挺進(ていしん)第3、第4連隊所属の元日本軍人有志らによって建立された。
   おか・あきら (「新日系人ネットワーク(SNN)」理事長、日刊マニラ新聞セブ支局長)

ナビ・デ・セブ第2号[Navi de Cebu Vol. 2]より

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