リゾートアイランド・セブのこだわり生活情報誌
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戦跡“70年”の今昔

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比ゲリラと海軍乙事件

   セブ島フィリピンゲリラの隊長として有名なのはアメリカ人銅鉱山主を隠れ蓑にした「クーシン大佐」だったが、実質的にゲリラとして闘ったのは比人の副隊長「セグーラ少佐」だった。彼は戦後「TABUNAN」という本を出版し、又戦後は陸軍士官学校教官として大佐にまで昇進して退役、今もセブ島にご健在だが、もうさすがに歩行は困難だ。
   戦争中に「海軍“乙”事件」という連合艦隊総参謀長「福留繁中将」の搭乗機が豪雨中にセブ島の沖合に不時着し、比ゲリラの捕虜になって中央山岳地帯「タブナン村ゲリラ本部」に、部下数名と共に捕われてしまった。現地唯一の戦闘部隊長「大西精一中佐」はマニラ山下奉文大将の第十四方面軍総司令部命令を待ちきれず、第一線司令官同士の約束だからと「捕虜交換」に応じて、ゲリラ本部への襲撃を中止して、交換に福留中将らを取り戻した。マニラや日本の総司令部では、既に「海軍暗号帳」は押収されただろうから、福留中将の生死などどうでもよかったのだろう。

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旧陸軍第一師団副官の松本實さん(94)

レイテ、セブ、25回目の鎮魂、慰霊の旅
文と写真: 麻生雍一郎
(マニラ新聞セブ支局)

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今「I.T.パーク」は元「セブ(ラホグ)空港」

戦跡“70年”の今昔!
文・写真: 岡 昭
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   原爆で太平洋戦争が漸く戦火を収めた直後の戦跡が、70年を経た今、どう変わったのだろう。特に近々十年の変貌は凄まじい。
   都心にあったゴルフ場「クラブ・フィリピノ」は州政府との土地賃貸契約を解消されゴルフ場も経営続行が不可能となり、戦後の州政府は土地を新しく公開入札に付してアヤラ財閥が入手、「セブ・ビジネスパーク」として開発し大成功。引き続き、セブ・ラホグ飛行場跡地はホテル部分をマレシャ・ウオーターフロントに、ビジネスパーク部分をアヤラ財閥が公開入札の上で入手し、「I.T.ビジネスパーク」として「BPO」産業のメッカに変貌させ高層ビル街になっているのが現状だ。

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セブ島の山岳部を貫く『セブ中央横断道路』の今昔

by 松本重樹NCebuVol2-centralcebu-07

西海岸から鯖の背中を乗り越えて東海岸へ

   旧日本海軍の戦闘機乗りは、セブ島山岳部上空を超える時、『鯖の背中を飛ぶ』と表現していた。長い間その意味は不明だったが、この間、マクタン・セブ国際空港へ着陸態勢に入った飛行機の窓から、西日を受けた山並みの影が鯖の背中にある模様に見え『これが鯖の背中を飛ぶことか』と得心した。

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   セブ島は長さ220キロ余に対して最大幅は35キロほどの細長い島で、サンゴ礁の隆起した地形は深い皺を刻む。この皺を縫うように車で約1時間半、東海岸のセブ市から西海岸バランバン町へ抜ける道がある。峰を切り開いた古い道のために車で抜けるのは天気次第という時代もあったが、海外から資金を得て全舗装の道に整備された。
   セブ市内から急坂で始まる道は、やがて右手側に20階を超す高級ホテルの姿を見る。ここは今でこそ市内に40階のビルが建ち、20階程度のビルなど当たり前になったセブだが、10階以上の建物が2つしかなかった時代に建てられ、かつては観光名所のひとつだった。ここを過ぎるとセブ市内とは思えない山道、カーブの連続。やがてセブ市街地と彼方にマクタン島、ボホール島を見下ろす標高610mのトップス展望台に近づく。高度100m毎に気温は0.4度下がるので海岸部より3度は低く、展望台を吹き抜ける風は数字以上に冷たい。 
   トップスを過ぎると日本軍が敗戦まで立て籠もった標高742mの「天山」(ババック山)があり、平和な今は花卉や野菜が作られ、道沿いでは小屋掛けで野菜を売っている。この辺りから道はさらに急峻、九十九折、天候不順時には落石もあり通過時には注意を要す。数年前にはバランバン近くの下り坂で大型バスが谷に転落し、セブに留学中のイラン人学生多数の死者を出した事故があった。この時はイラン政府がジャンボ機をチャーターしてマクタン・セブ国際空港から遺体を故国へ運び話題になった。上り一方の道が終わりを迎える頃、タブナンの小さな集落に入るが、ここは戦時中に「海軍乙事件」の舞台となった場所になる。

海軍乙事件とタブナンのゲリラ司令部

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  「乙事件」というようにその前に「甲事件」がある。甲事件は1943年(昭和18年)4月18日、連合艦隊司令長官・山本五十六大将が前線視察中に、ニューギニア島西方、ブーゲンビル島ブイン上空でガダルカナル島から出撃した米軍機に待ち伏せ撃墜された事件を指す。この事件は日本軍の暗号が解読されていて長官一行の日程が米軍に筒抜
け、「情報」を軽んじた日本軍の特質が出ている。
   乙事件は1944年(昭和19年)3月31日、山本長官戦死後に長官職を継いだ古賀峯一大将が、米軍の猛攻から逃れるために司令部の根拠地だったパラオからミンダナオ島ダバオに飛行艇2機で移動中に起きた。長官機は悪天候に巻き込まれて参謀と共に行方不明。もう1機はセブ島東海岸サンフェルナンド沖(セブ市南に約30キロ)に不時着、こちらには連合艦隊NO.2の参謀長・福留繁中将以下参謀が乗艇、遭難後に搭乗員を含めて9名がゲリラに捕えられた。
   セブ島のゲリラ活動はセブ島にある銅山の技師だったクーシン中佐(アメリカ人)が指揮を執り、西海岸から米軍潜水艦が軍事物資を夜陰に乗じて運び入れるなど、反日感情の高揚もあって侮れない勢力となっていた。
   福留一行はセブ島中央のタブナン・トバス山中にあったゲリラ司令部に連行されたが、陸軍の捜索隊がこの司令部を発見して包囲。攻撃直前にゲリラ側から福留らを解放する代わりに包囲を解けとの申し入れがあった。クーシンの妻子が司令部にいたためといわれるが、包囲した部隊は承諾、福留一行は11日ぶりに捕虜の身から解放された。
   福留は捕えられた時に作戦書などの機密書類を処分したというが、実際はゲリラから米軍の手に渡り(戦後判明)、その後の日本海軍の負け戦につながる。福留は事件の責任を取らず、上層部も不問にしてその後も重用、フィリピンの神風特攻作戦にも関与する始末。戦後は元海軍将校組織の会長までやり、ここにも日本軍の組織的欠陥を見る。

尾根筋のジップ・ラインとマヌンガル山

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   タブナンは人目に付かないセブ島最奥に位置し、時々この辺りで大がかりな大麻栽培摘発のニュースが流れる。ゲリラ司令部のあった場所など土地の古老に聞けば分かるだろうが既に過去の出来事。ゲリラ『討伐』でセブの深い谷間を這いずった日本軍兵士達の辛苦さは、九重、十重の谷の重なりから今は偲ぶしかない。
   タブナンを過ぎると近年は西海岸を望む尾根筋に山のリゾートがいくつも生まれ、ジップ・ラインの遊び場も出来た。儲かりそうだと思うと、すぐに真似をするのがフィリピン文化なのか、隣同士でジップ・ラインを営業しているのも面白い。
   さらに下がるとマヌンガル山(1003m)に向かう山道が右手側にある。この山は1957年3月17日、第7代大統領、マグサイサイの搭乗機が激突、生存者もあったが大統領は死亡、49歳で迎えた死は早かった。マグサイサイは反共親米だったが歴代の大統領と比べて身内を登用しないなど(もっとも息子は上院議員を経験、他に一族から下院議員が出る)、清廉さもあって国民的人気は今でも高い。墜落地点には碑が建ち命日には式典が行われている。
   この近くにはセブ島で1番高い「カバラサン山」(1013m)がある。ところがセブ島南部には標高1015mを標榜するセブの政治一族の名前を付けた峰があって、こちらの方が数字上は高い。しかし国内最高峰のミンダナオ島アポ山が2954mから3145mを唱える資料まであり、山の高さの数メートル違いなどこの国ではさして気にしないようだ。
   横断道最終のバランバン町。20年位前はマングローブの生えた寂しい寒村だった。しかし海岸に特別経済区を造成、18万トンまでの建造能力を持つ日系の造船会社を中心に発展、数千人の雇用を生んだ。この膨らんだ財布を狙って町内にはセブの中国系大手小売り資本が大きな店舗を次々にオープン。在留邦人届出数(2011年10月現在)もセブ島内ではセブ市(993人)、ラプラプ市(350人)、マンダウエ市(207人)に次ぐ4番目、105人とある。

ナビ・デ・セブ第2号[Navi de Cebu Vol. 2]より

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セブ観音慰霊祭の経緯

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元日本兵の清水さんとカモテス諸島

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   富山県高岡市に住む清水猛さん(90歳)は毎年、医療奉仕活動のためにこの島を訪れています。清水さんは元日本兵で、戦争中の短い期間、この島で米比軍を相手に命がけで戦いました。しかし戦争が終わってから70年近くが経った今、 医療を受ける機会の少ないカモテスの人たちは毎年、清水さんたち医療奉仕団の来島を心待ちにしています。

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