リゾートアイランド・セブのこだわり生活情報誌
現在地: Home コラム 比医療ボランティアの旅 第17回 混沌たるマラウィ (南ラナオ州)

第17回 混沌たるマラウィ (南ラナオ州)

フィリピン医療ボランティアの旅 1988年8月847   By: 星野邦夫

ラナオ湖畔の町マラウィ

 ミンダナオ島内陸の南ラナオ州にあるラナオ湖は標高700メートル、面積357平方キロ、平均水深60メートル、一番深いところは112メートル、フィリピン第2の湖である。鯉の一種であるバングースなどの川魚が住民の生活を支えている。湖畔にはマラウィ市(人口7万、州庁所在地、当時)をはじめ16の町村が連なり、住民はマラナオ(ラナオ湖の人という意)と呼ばれている。ここを中心とする南ラナオ州の人口50万のうち90%はイスラム教徒である。

 1988年8月初旬、私は空港のある海岸のイリガン市(北ラナオ州)から南ラナオ州の州都マラウィ市に向かった。幸運にも、イリガン市のロータリー会員が南ラナオ州検事の車に私を同乗させてくれた。湖から流れ出る唯一の川であるアグス川の急流に沿って険しい山道を登り、約1時間でラナオ湖畔の町マラウィに達した。
「こんなところに泊まってはいかん」
 4年前に開校したばかりのミンダナオ州立大学(マラウィ市)の敷地内にあるゲスト・ハウスにチェックインしていると、3人の男たちがやってきて、「ドクター・ホシノか?」と訊いた。彼らはマラウィ・ロータリークラブの会員であった。そのなかの1人、髪の薄い、小柄で丸顔の男が会長ユーラリオ・マツランと名乗った。彼は市内にあるキリスト教系のダンサラン大学の学長であり、検事から電話を受けて私の到着を知ったという。map
 「こんなところに泊まってはいかん。ボクの家に来い」と彼はさっさと荷物を運び、私を車のなかに押し込んだ。道々彼が語ったところによれば、「1950年、米国に本拠のあるユニオン教会がイスラム教徒の子弟を教育するためにダンサラン大学を作り(ダンサランとはマラウィの古名)、これまで7万人の卒業生を送り出した。それなのに、1974年アメリカ人の学長が誘拐され、湖のなかにある小島に幽閉された。3週間後に身代金10万ペソが支払われて学長は解放された。犯人はイスラム教徒であった。1980年、ボクが学長に選任された。誘拐犯がいつもボクを見張っているような気がしてならないので、軍隊に警護してもらっていた。2年前からそのような気配がなくなったので、車を運転して外出するようになった。ところが、昨年、定期バスが襲われ、たまたま乗り合わせた1人のアメリカ人男性が誘拐され、身代金を払わされる羽目に陥った。不安はまだ続いている」。
 マツラン会長の忠告は、その日の午後に山を降りてイリガン市に戻ることであった。しかし、私は、「ここへ来た目的はハンセン病対策を開始することにあります。そのためにはロータリークラブに協力の約束をしてもらわねばなりません。それまで帰りません」と言い張った。

「ハンセン病対策など無理」

 会長の家は州立大学とは反対側の町はずれに位置するダンサラン大学の隣地にあった。アカシアの大木が葉を繁らせる広場に面した質素な住居で、奥さんと高校生の娘さんと3人暮らしであった。
 居間で3人の男たちと話し合った。彼らが口を合わせて言うのは、「ここはハンセン病対策など始められる状態でない」である。
 「第1に治安が悪い。市外ではイスラム教徒とクリスチャンとの殺し合いが続いており、難民が続々と流入して市内の治安を悪化させている。第2に州保健部長に問題がある。彼はダンサラン大学に在学していたときから女たらしで有名だった。部長になってからは部下の女性スタッフに手を出すとの噂である。現に1人の女性が妊娠した。そうしたら部長は、『この女は第2夫人だ』と宣言した。妻は怒って裁判所に訴えた。他の女性にもセクハラで訴えられている。そういう訳で保健部は上を下への大騒ぎ、仕事どころでない」。

オイスカ技術者も退去

 私はとんだところへ来てしまったと悔いた。マツラン会長は同情して、「昼食後、町を案内する。日本人も住んでいるから会わせてやる。気にいったらボクの家に泊まっていけ」と言ってくれた。
 州立大学を見に行った。丘の斜面の林のなかに点々と新しい校舎が建っていた。紺碧の湖水が見下ろせる芝生には女子学生たちがいろどり豊かなスカーフをかぶって談笑していた。学生数は5千人という。敷地内にはゲストハウスのほか、学生寮、レストラン、ショッピング・センター、テニス・クラブなどがあり、農場もあって日本のオイスカから派遣された農業技術者が3名きていた。責任者が、「我々は日本大使館の勧告で、近日中に退去することになった。危険だからというので」と話した。

イリガンの学長の別荘へ

 大学の本館でマギギン・マゴナン学長に会った。彼もロータリークラブの会員で、イスラム教徒としてははじめての陸軍大佐、理学博士、州立大学学長になった。50才前後の精悍な感じの人で、現役の軍人として軍隊のキャンプ内に居住していた。私が来意を告げると、「それはありがたい。ところで、明日の日曜日はイリガンの別荘へ行くから、一緒に来ないか」と誘った。
 翌朝、ダンサラン大学付属教会の礼拝に出席し、出てきたところを背の高い、色白でハンサムな男につかまった。「マギギン学長から聞いた。金をくれるそうだな、オレは保健部長だ」昨日聞いた悪名高い州保健部長とはこの男であった。

「ハンセン病対策を始めるから金をくれ」

 一緒にマツラン会長宅へ行って話した。保健部長は、「ハンセン病対策を始めるから金をくれ」の一点張りである。私は、「金は部長に渡すわけに行かない。部長の責任で行う講習会の参加者に、ロータリークラブ会長から直接渡してもらう」と説明して納得してもらった。
 この日はマツラン会長と、昨日会った2人の会員とともに海岸のマギンギン学長の別荘へ行って昼食をご馳走になり、私はバスに乗ってイリガンからカガヤン・デ・オロへ向かった。
 セブに戻ってしばらくしてから、州保健部長から電話があった。「講習会をやった。しかし、会長が金をくれない。何とかしろ」。それで私はマツラン会長に電話をいれると、「講習会はしてない。保健部長は何もしない」との返事であった。

ロータリークラブ会長が誘拐

 その後、間もなく新聞にショッキングなニュースが載った。マツラン会長が誘拐された! 自宅にイスラム教徒の誘拐団が押し入り、奥さんと娘さんも一緒に連行した。身代金目的と思われるが、犯人からの通告はまだないとあった。
 1年経っても解放されない。米人学長のときは本部が金を払ったので3週間で解放されたが、マツランはフィリピン人ということで、支払いを渋っているらしい。部長との確執が事件に影響を与えたかも知れないと思うと、私は責任を感ぜざるを得ない。
 確かに、混沌たるマラウィはハンセン病対策を始められる状況になかった。

ほしの・くにお
1933 年生まれ。外科医。1985年、ロータリークラブの世界社会奉仕委員長として訪比しセブのバンタヤ島の医療現場を視察した。その時、島の山中に「食事も薬 ももらえないので死んでしまう」とセブ国立らい療養所から「集団脱走」して身を隠している多数のハンセン病患者がいるという事実を知らされ、衝撃を受け る。以来10年間、笹川財団(現・日本財団)、国際ロータリークラブの協力を得て、自費で生活諸経費を負担しながらの献身的なボランティア活動を行う。北 はバタネス島から南はスルー諸島のムスリム地域まで、文字通りフィリピン国中を行脚しながら患者の割り出しと投薬治療に奔走した。1992年〜94年まで マニラ日本人会診療所に医師として勤務。現在、マカティ市でリタイアメント生活を送る。ボランティア医療の経験を題材にした短編小説に『セブの聖たち』、 『魔の島クリオン島』、『マニラ・いのちの行進』(いずれも未発表)がある。千葉大学医学部卒、プロテスタント。

 

bottom-banners-bw 02 bottom-banners-bw 04 greyfooterbutton 03 facebook bottom-banners-bw 08
denwacho 2015 cebumapbanner Cebu City Tour navimanila23 dmsweblogo