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第5回「魔法使いの島」シキホール

フィリピン医療ボランティアの旅 1988年5月 By: 星野邦夫

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第5回 「魔法使いの島」シキホール
   フィリピン群島の中央、ボホール海に浮かぶシキホール島は直径30キロの小島である。人口3万9千人、1つの州を構成する。ネグロス島ドゥマゲテ市海岸から見るシキホール島は紺碧の海に突如現れたゴジラのごとくである。草も木も生えていない灰色の三角形の姿は無気味で、いまにでも雲を呼んで飛び上がる怪物か、または月世界の地獄島かと思われる。言い伝えでは激しい雷雨の日に稲妻を浴びて海中から火を噴いて出現した島と言われる。16世紀に初めてこの島を見たスペイン人は「火の島」と呼んで怖がった。土地の人によれば、それはホタルが群れ飛ぶのを見たのであろうと言う。

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   世間の人がシキホール島を恐れるのは交通の難しさもあった。ドゥマゲテ|シキホール間は定員100名の連絡船で2時間の距離だが、海流が激しいのと、モンスーン気候の関係から、3〜5月の乾季を除いて海が荒れやすく、船の欠航が多い。1986年には定期船が沈没して100名以上の乗客が死亡し、一層シキホールの名を怖いものにした。
   なによりもシキホールを恐れさせるのは、この島には魔法使いが大勢住んでいて、外来者を呪い殺すと信じられているからである。私がフィリピン各地を巡回して歩いた1980年代はほとんど全国にNPA(共産ゲリラ)が跋扈(ばっこ)していた時代だったが、ことシキホールに限ってはNPAの影が見られなかった。それは海路の怖さのほかに魔法使いが怖かったからである。皆が止めるのを振り切って私が単身この小島を訪問したのは1988年5月10日のことであった。
   ここには魔法使いが100名ほどいて、特に有名なのは4名である。私がそのうちの1人ロマン・ビオス師(80才)に会えたのは州立病院婦長オフェリア・ホア女史が紹介してくれたからである。彼は風が吹けば飛んでしまいそうな、小柄で痩せた老人で、色白で、鼻筋が通り、端正な顔立ちをしており、どこか俗世間から超脱した仙人のような風貌を備えていた。島の東側にあるラシ地区にブロック作りの家を建てて住んでいて、オフェリア女史の呼びかけに気軽にこたえ、外に出て来ると道路に椅子を並べて私のインタビューに応じてくれた。
   「ワシは20年前までは普通の貧しい農民だったが、ある日のこと、教会で祈っていると、神様の声が聞こえてきた。何だか神様がワシに病気を治す力を下さるとのお告げのようであった。それからワシは病人の家に連れて行かれ、『さあ、治してくれ』と頼まれるようになった。病人のからだに手を当てて祈ると、悪魔の声がして、『おい、何をする?』と訊くので、『この人から出ていけ』と命じると、悪魔が出ていって、病気が治った」

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「どんな病気でも治す」
   ロマン師はまるで聖書に出てくるような話を真面目な表情で語った。私が、「あなたに治らない病気はないですか?」と尋ねると彼は、「どんな病気でも治る」と自信ありげに答えた。「それじゃ、ハンセン病はどうです?」これは私が一番訊きたい質問だった。という訳は、数日前の新聞の論説で、ハンセン病の対策は全国に住まう魔法使いに頼めば、高価な化学療法をしなくても、たちどころに解決すると出ていたからである。論説委員がこうだから一般人はなおさら魔法使いの神通力を信じているだろうと思った。ロマン師は言う。
  「数年前にワシがセブへ行ったとき、ミンダナオから来た60才ぐらいの男がハンセン病を病んでいた。ワシに治してくれと頼むので、プーと息を吹きかけたら、いっぺんに治った」それで私は手を叩き、「それじゃあどうです。シキホール島には54人のハンセン病患者が登録されていますから、あなたが息を吹きかけて治してやってください」と頼むと彼は手を振って、「ノー、それはできない。あいつらには強力な悪魔が取りついている。うかつに近寄れない。うっかりすると、ワシが負けてしまい、病気がうつってしまう」と断った。
   ロマン師には3人の娘がいて、その1人はアメリカ人と結婚してセブに住んでいる。婿のアメリカ人が彼の魔法に心酔しており、宣伝するのでセブでは有名になった。ある日のことセブの医者が夫人を伴って訪ねてきて、「家内の皮膚病がなかなか治らない。助けてくれ」と言った。調べてみたら、医者の家の女中がシキホール島出身で、悪魔の乗り移ったシャツをシキホールで買って行き、夫人にプレゼントした。そのために悪魔が夫人に乗り移ったと分かった。それでロマン師が夫人に手を当てて祈って悪魔を追放すると、翌日医者が晴れ晴れとした顔でやって来て、「お蔭で妻の病気が治った」と礼を言った。「金は幾ら払ったら良いか? と医者が訊くので、ワシは要らないと答えた。ワシは病人から金を取ったことはない。この力は神様がタダでくれたものだから」とロマン師は胸を張った。地元の人は金を払わない代わりに、魚とか、ヤシ酒とかを持ってくるとのことであった。
   オフェリア女史によれば、他の魔法使いも同様である。なかには小道具を使うものがある。例えば、コップに水を入れ、患者のからだの具合が悪い部分にそれを当てて祈ったあと、竹で作ったストローを口にくわえて、水中に息を吹き込むと、毛髪や、ゴミ、小石、紙片などが浮かび上がってくる。そのような物質がからだのなかで悪さをしていたと説明する。すると病人は患部が軽くなり、病気が治ったような気がする。ドイツ人医師で興味を持った人がいて、1人の魔法使いをドゥマゲテ市のプロテスタント系のシリマン総合大学の医療センターへ連れて行き、竹の代わりにガラスのストローを使わせてビデオに撮った。結果は同じで、水中に新聞紙の紙くず状のものが浮かび上がり、病状は良くなった。

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かつてフィリピン中にいた魔法使い
   魔法使いは昔はフィリピン中の村にいて、「ヒーロット」または、「フェイス・ヒーラー」と呼ばれ、住民の病気を治したり、お産を取り上げたりしていた。医者が増えたので、魔法使いの数は減ったが、それでも、シキホールのような辺鄙(へんぴ)な島には大勢残っていて、住民の役にたっている。魔術医とも、呪術医とも呼べる存在である。
   なかには呪いを掛ける黒魔法使いもいる。シキホール島に住むボシアという60才台の小柄な婆さんは、その方面で有名な人である。依頼人は呪ってやりたい人物の髪の毛とか、衣類、写真などを持って行く。特に金曜日は効き目があり、13日の金曜日ともなれば一番効果がある。ボシア婆さんがその品物を手に捧げ持ち、悪魔に祈ると、たとい遠距離でも目標の人物にかゆみとか、頭痛とか、腹痛、不眠などが生じる。婆さんは悪魔に仕えるだけあって金をとる。時々セブやマニラの金持ちに呼ばれて仕事をしてくる。島に戻ってくると大金をもらったと吹聴する。頼み事は妻が、「夫の浮気の相手を呪ってくれ」というのが多いそうである。

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シキホールは恐ろしい島?
   島の人は娯楽のために呪いを掛ける。たいした娯楽がないからである。誰も敵がいない人は呪いの対象がいないので、よそ者を対象にする。たとえば町の安宿に泊まった旅人をボシア婆さんに呪ってもらう。そして旅人が病気になって苦しむのを見て手を打って喜ぶ。この噂が広がってシキホールは恐ろしい島との評価が定まった。そのために共産ゲリラも来なければ、犯罪者も来ない。全国一治安が良い島である。
   毎年4月、島で魔法使いのオリンピックが開かれると新聞に載った。それはフィリピン各地に生き残った魔法使いが復活節の休日を利用し、また4月は海が凪いでシキホール島に渡るのに好都合なので島を訪れ、彼らの間で聖地とされるマラバホク山中腹のサン・アントニオ村にある魔法使いの家々を訪問しては情報を交換したり、薬草や小道具を売り買いする。ときには外国からも来客がある。そのために大袈裟に、オリンピックなどと報道されたのであった。
   フィリピンでは4割の人が医者にかかれずに死ぬと言われる。医者がいない地方では魔法使いにかかるしかない。医者がいても金のない人はヤシ酒一杯で済む魔法使いにかかる。シキホールでは開業医がいない。住民は開業医を訪ねず、魔法使いにかかるからである。しかし、州立病院ができて金のない人もかかれるようになった。それでも島民は魔法使いにかかる。そして手遅れになると病院へやってくる。「州立病院は終末病院」とは院長の言である。オフェリア女史はじめ、スタッフの宣伝で病院にかかる人も増えてきたが、まだまだ少ない。院長はヒマをもてあまし、病院の広い敷地を利用して闘鶏用にわとりの飼育に余念がない。
   私はその日の晩は院長宅でご馳走になり、空いていた病室の1つに泊めてもらった。病室はほとんど空いていて、深夜ともなると物音ひとつしなかった。静寂なこと、満天の星の綺麗なこと! それは何処にも見られないものであった。
   病院婦長のオフェリア女史はフィリピン看護協会の支部長をしており、また島には看護協会以外のNGOがないので、私は女史にハンセン病対策への協力を依頼した。彼女が快諾して契約書にサインしてくれた上、私の要望に応えて島の魔法使いロマン師を紹介してくれたのである。
   翌日、彼女の案内で島の東側、つまりドゥマゲテ市から見えない、反対側を見せてもらった。そうしたら、案外平地が開けていて、ココナツ林、カッサバやトウモロコシの畑、稲田があり、おまけに清冽な水が流れる川まであった。彼女の説明では、「この川で水浴びするとハンセン病にかかると言い伝えられている」とのことであった。そのため島民はときどき川のなかの石のひとつひとつを洗い清めていると。
   農業と漁業で島民の生活を支えることはできない。別な産業に頼らざるを得ない。それは出稼ぎである。多数の人々がセブ、マニラ、そして外国へ出稼ぎに行って送金してくる。残念ながらここでも出稼ぎが最大の産業であった。

フーと息吹きかけられ、手が腫れた !
   セブに戻り、第7地方保健局に報告に行ったら、局長フェリシト・アニセト医師が、「丁度良い。面白い人を紹介しよう」と、部下の女医を紹介した。彼女は保健教育を担当しており、シキホール島で魔法使いを集めて科学知識を教えこもうと講習会を催した。島民が魔法使いに頼る以上、彼らに非科学的なことはして欲しくないとの意向からである。
   一通りの講義を済ませ、質問はないかと問うと1人の年老いた魔法使いが立って尋ねた。「先生はオレたちを信用しねえかね?」「そりゃあ、信用しません」と中年独身の女医が傲然と答えた。すると質問をした老人が前に進み出て女医の右手をとり、フーと息を吹きかけた。驚いたことに彼女の腕から手にかけてジンマシンのような発疹ができたと思うと、みるみるうちにお餅のように膨れ上がった。
   「なにをするんですか!」彼女は飛び上がって叫んだあと、一目散に逃げ出してセブに帰った。セブに戻る間に腕のはれは引いたというが、恐怖は残った。これが女医の物語である。ホントの話!

▶ ほしの・くにお
   1933 年生まれ。外科医。1985年、ロータリークラブの世界社会奉仕委員長として訪比しセブのバンタヤ島の医療現場を視察した。その時、島の山中に「食事も薬 ももらえないので死んでしまう」とセブ国立らい療養所から「集団脱走」して身を隠している多数のハンセン病患者がいるという事実を知らされ、衝撃を受け る。以来10年間、笹川財団(現・日本財団)、国際ロータリークラブの協力を得て、自費で生活諸経費を負担しながらの献身的なボランティア活動を行う。北 はバタネス島から南はスルー諸島のムスリム地域まで、文字通りフィリピン国中を行脚しながら患者の割り出しと投薬治療に奔走した。1992年〜94年まで マニラ日本人会診療所に医師として勤務。現在、マカティ市でリタイアメント生活を送る。ボランティア医療の経験を題材にした短編小説に『セブの聖たち』、 『魔の島クリオン島』、『マニラ・いのちの行進』(いずれも未発表)がある。千葉大学医学部卒、プロテスタント。

ナビ・マニラ第5号[Navi Manila Vol. 5]より

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