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第4回 ミンダナオ島ダバオ、ディワルワル金山

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フィリピン医療ボランティアの旅 1989年6月 by 星野 邦夫

   私は1986年にフィリピンに移住し、2年間セブ市のハンセン病対策に協力したあと、全国対策にも協力してフィリピン中を歩いた。そのときの体験を書きたい。
   10年ひと昔というが、10年一日のごとしともいう。フィリピンの田舎は後者の方で何年経っても変わりばえしない。私が1989年6月に訪ねた金山も変わっていないだろうと予測しながらペンをとった。それはつい昨日のようにも思える、強い印象の旅だったからである。

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   金山へ行く前に在ダバオの領事にお会いしたら、「ディワルワル金山で落盤事故があり、新聞では1000人の死者が出たと報道されたが、当局の発表で死者10人と知らされ、それでは本国に報告するに及ばない」と話しておられた。ところが、翌日私はディワルワル山に到着して千数百人が死んだと判った。当局が真実を公表しなかったのは、本当のことが知られると金鉱の管理が杜撰(ずさん)だと非難され、規制がやかましくなり、官民の両方に影響が及ぶからであった。ダバオ市から北ダバオ州モンカヨ町(現在の行政区はコンポステラバレー州)まで100キロの田舎道をジープで北上し、町はずれの田んぼからヘリコプターに乗って標高1000メートル、ディワルワル金山まであがった。私がそこに行くことが出来たのは、ひとえに地元のオイスカ農業技術訓練センターに赴任していた白沢一郎氏のお蔭である。彼によれば、「金山から流れる廃液が田畑に入り、作物に水銀が含まれるようになったり、家畜に奇形が多くみられるようになった。また、タグム町(1998年に市に昇格)の北ダバオ州立病院には明かに水銀中毒と思われる患者が入院している。どのくらい水銀汚染があるか実地調査に来てほしい」とのことだった。当日は白沢氏のほか、モンカヨ町の議員バディオーラ氏が案内してくれた。
   日本語で「ワル」は「悪」を意味し、ディワルワルから「ディ」を落とすと、「悪々」と聞こえ、いかにも悪いところのような印象を受けるが、行ってみると、そこは本当に悪いところで、言うなればあらゆる悪の見本市のような場所だった。
   ヘリコプターから降りたってみると、周囲は火災現場跡だった。数日前の火事で150世帯が全焼したばかりという。原因は主婦が昼の炊事のために薪に火を点けようとしたが、雨で濡れているため、なかなか点かない。それで、ガソリンをかけて火を点けたら、たちまち火焔があがり、アッという間にベニヤ板の壁に燃え移り、家が焼けてしまった。そこは隣家がくっついて建てられ、狭い道路の両側に家が密集して作られた町なので、どんどん類焼していった。黒一色の地面にヤシの木の柱だけが焼け残り、その間にビール瓶のかけらが山のように積み上げられて、いかにビールの消費が多かったかを物語っている。スカーフを頭にかぶった女たちがしゃがみ込み、スプーンで焼け跡をほじくり返し、金目のものを探していた。
   ディワルワル金山の歴史は100年前にさかのぼる。ある地質学者が、「ここに豊富な金鉱脈がある」と言ったことに始まる。1950年代に日本の賠償の一環として、天然資源調査のために訪れた技師が同じような結論を出したので、そのときのガイドが山に戻って鉱石を探した。しかし、このときは良質な鉱石が見付からなかった。1970年代初め、木材運搬のトラック運転手がたまたま拾った石に金含有量の多いことが判って、一度にゴールド・ラッシュに火が点いた。ここの特徴は大資本により開発されたのでなく、採鉱許可をとった数千人の零細業者がワッと集まって、蟻の巣のように細い坑道が広がったのである。木こり道に沿って人口4万人の町ができ、麓から見ると夜は家々のともし火が山の中腹にのたうつ白銀の大蛇のようである。木こり道変じてメーン・ストリートとなった。それは幅2メートルのぬかるみ道で、天気の良い日でも泥水が流れ、ハダシかゴム長靴でもなければ歩けない。車はトラクターしかない。美濃紙のような丈夫な紙で作った袋が至る所に積んである。紙が破れたところから石のように固まった茶色い泥が見える。これは第一次精錬を終わった「金鉱石のカス」である。カスといっても金が含有されているので、トラクターに積んで山から降ろし、途中からトラックに積み替えて麓の工場へ送り、第二次精錬の材料にする。
   道路の両側にはベニヤ板と段ボールで作られた粗末極まる家が立ち並ぶ。山側は猫の額ほどの狭い平地を作って、そこに家を建てている。谷側は長いクイを何本も立て、その上にヤグラを組むようにして家を建てる。上を見上げると山が落ちてくるように迫っており、下を見下ろせば足が震えるほど深い谷になっていて、良くこんなところにいられると感心する。「ちょっと、中を覗いてみよう」とバディオーラ氏が山側の一軒の家に入って行った。恐る恐る後をついて行ってみたら、何と、家の中で坑道を掘っていた。直径1メートルほどの深い縦穴が掘られていて、粗末なハシゴを頼りにテーシャツ姿の若者が降りて行く。「オーイ」と地底から声が掛かると、上にいる人が綱を引いて鉱石の入ったザルを引っ張り上げる。縦穴は5メートルぐらいの深さがあり、その先は横穴になっている。坑道の上に家を建てているのは、穴の中に雨が振り込まないようにするほか、泥棒が坑道に入り込まない為や、穴掘り人夫が寝泊まりするためでもある。こうして隣接して坑道を掘っているため、右の横穴と左の横穴が繋がってしまったり、上と下がぶつかったりする。山のなかは蟻塚のように穴ぼこだらけにくり抜かれており、いつ落盤事故が生じても不思議でない。実際1978年にも大規模な事故があった。精錬所もここにあった。大きめな家がそうである。なかに入ってみると、若者がハンマーで手拳大の鉱石を砕き、米粒大にする。それを横にしたドラム缶に入れて水を混ぜ、ジーゼル・エンジンで回転させる。2時間後、すっかり泥状になったところで、斜めにした板の上に流す。水と軽い粒子は流れ落ちるが、金を含有する重い砂は板の上に残る。ここで出来る軽い粒子はカスで、紙製の袋に詰めて下界の工場へ降ろす。重い砂はポリのタライに入れ、さかずき一杯ほどの液体水銀と混ぜて素手でかきかぜる。すると、砂の中の金が水銀と化合して粘土状になって取り出される。これを布にくるんで水気を抜き取ると、白い固い塊になる。アマルガムである。それをルツボに入れて加熱し、溶けて液状になったものを更に加熱すると、やがて水銀は蒸気となり、空中に舞いあがってなくなり、目にまばゆいばかりの金が残る。こうしてドラム缶半分の鉱石から小指の頭ほどの金塊が取り出される。良質な鉱脈に当たって大金持ちになるのは10人に1人いる。この種の精錬所はたくさんあり、自分の坑道から掘り出した鉱石を精錬したり、精錬所を持たない人の鉱石を精錬してやったりする。多量の水を使い、使った水を道路に流すので、天気が良くても道はぬかるみとなる。
   坑道を覆う家や、精錬所の家のほか、ありとあらゆる用途の家が立ち並ぶ。雑貨屋、一膳飯屋はよいとして、カジノがあって朝から男たちが集まり、賭博に興じている。怒号と歓声に混ざってサイコロを茶碗に入れて振る音、プラスチックのチップをジャラジャラとかきまわす音がする。隙間から覗いてみると、5、6人の上半身裸の男たちが車座になって座り、サイコロ賭博をしていた。勿論フィリピンでは賭博はご法度である。山中の金山だから取り締まりがないのだろう。そのほか、ビヤホールと書かれた店、ビデオ劇場の小屋、ビリヤード、ジャン荘、サロン・バー、ディスコまである。ランボーやヌード女性の写真が貼り出され、ジェットエンジンとマシンガンの音を交えたすさまじい音楽が鳴り響き、その間をヘアーカーラーを取りつけ、化粧もしないで、腫れぼったい顔をした若い女たちがふらついていた。山の上にはありとあらゆる悪徳がはびこり、昼夜を問わず、博打、飲酒、売春、暴力が絶えない。治安維持のためにヘリポート近くに1個小隊の警察軍が駐屯しているが、犯罪を押さえきれず、強盗、殺人が毎日起こっている。政府軍ばかりでは不充分なので、NPA共産反乱軍も加わって治安維持に協力して「税金」を請求する。先日起きた大火災は「税金」を拒否したために起きた放火とも言われる。
金を買う店もたくさんある。旧式な棹秤(さおばかり)を机の上に載せただけの屋台のような店で1グラム960円で買い上げ、ダバオで1,100円で売るか、日本でもっと高い値で売り払う。
明日も知れぬ生命なので、天国へ行く道を確保したいのか、大きい礼拝堂が建てられていて、毎朝ミサに大群衆が参加する。教会と悪の町の共存とはどういうわけか? 悪人ほど天国へ行きたがるのか?
バディオーラ氏の甥が経営する食堂に入って昼食をとる。家は谷側なので、歩くたびにグラグラと揺れる。1階は雑貨屋、2階が食堂、地下は精錬工場になっている。雑貨屋を営む母親が慢性の皮膚病に罹患し、ハンセン病ではないかと心配していたので診察したら、幸いハンセン病ではなかった。
   私はここで4グラムの金の塊を3,800円で買った。日本に帰って調べてもらったら、4.7グラムあり、息子の結婚指輪2個を作るのに十分だった。
ここで使っている水銀は無機水銀で、しかも蒸発させてしまうから、排水には含まれないことが判った。心配なのは水銀蒸気を吸う精錬従事者で、長い間に障害を起こすことは確実である。州立病院に入院しているのは水銀蒸気により鼻粘膜を障害された人と判った。
   その日の午後、私は白沢氏に頼まれてモンカヨ小学校で300人の学童の健康診断を行った。その半数に栄養失調があり、ハンセン病患者が1人見つかった。この地の人々の貧しさが改めて認識され、彼らが生命がけでディワルワル金山へ稼ぎに行く理由が判ったような気がした。
   ミンダナオ金鉱脈は島を横走して南スリガオ州、北サンボアンガ州に出ており、零細採鉱者とその手助けを入れて約20万人が落盤、山崩れ、犯罪と隣り合せて暮らしている。彼らは刹那主義に陥っているから、ここで生じる心の荒廃が国造りに及ぼす影響は計り知れないと、思わざるを得なかった。

「ディワルワル金山」

ミンダナオ地方南部コンポステラバレー州モンカヨ町にある豊かな鉱脈を有する金山で「ディワタ山」ともいう。「ディワタ」は「山の女神」という意味。もともとこの山ではマノボ族やマンダヤ族などの山地民が細々と金を掘っていたが、金鉱が話題になると、仕事のない若者が周囲の町といわずフィリピン全土からこの金山に殺到した。一攫千金を夢見る失業者らは、採掘権を握る大手企業と採掘の契約を交わし、小屋掛けしながらハンマーを握り命がけで鉱脈に挑んだ。80年代半ばにはゴールドラッシュのピークを迎える。しかし各自が勝手に掘ったため1000本を越える坑道がクモの巣のように広がり、度重なる落盤事故を引き起こした。星野医師がハンセン病対策で入山したひと月前、1989年5月には正確な生き埋め者の数も把握できないほどの大惨事が起きている。採掘権をめぐるトラブルから殺傷事件も絶えない。また金の精錬過程で水銀を使用するため、労働者の慢性的な水銀中毒や環境汚染が深刻化した。

▶  ほしの・くにお
   1933 年生まれ。外科医。1985年、ロータリークラブの世界社会奉仕委員長として訪比しセブのバンタヤ島の医療現場を視察した。その時、島の山中に「食事も薬 ももらえないので死んでしまう」とセブ国立らい療養所から「集団脱走」して身を隠している多数のハンセン病患者がいるという事実を知らされ、衝撃を受け る。以来10年間、笹川財団(現・日本財団)、国際ロータリークラブの協力を得て、自費で生活諸経費を負担しながらの献身的なボランティア活動を行う。北 はバタネス島から南はスルー諸島のムスリム地域まで、文字通りフィリピン国中を行脚しながら患者の割り出しと投薬治療に奔走した。1992年〜94年まで マニラ日本人会診療所に医師として勤務。現在、マカティ市でリタイアメント生活を送る。ボランティア医療の経験を題材にした短編小説に『セブの聖たち』、 『魔の島クリオン島』、『マニラ・いのちの行進』(いずれも未発表)がある。千葉大学医学部卒、プロテスタント。

ナビ・マニラ第4号[Navi Manila Vol. 4]より

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