リゾートアイランド・セブのこだわり生活情報誌
現在地: Home コラム 比医療ボランティアの旅 第1回 バタネスと 「スズキ事件」

第1回 バタネスと 「スズキ事件」

フィリピン医療ボランティアの旅 1989年1月16日
By: 星野邦夫

Batanes Island

   1960年代のこと、台湾とルソン島の間にあるバタネス(バタン諸島)、バタン島バスコの町にルソン生まれのルフィノ・アントニオという男がやって来てモーターバイクの店を出した。あとから屈強な男たちがやってきて総数20名、「スズキ」と染め抜いた黒シャツを着て島中をバイクを乗り回し『スズキ・ボーイズ』の異名を取った。1969年11月総選挙。アントニオは下院議員に立候補した。それまではバタネスの名門アバデ家が知事と下院議員を独占し、反マルコスの急先鋒だった。ときの大統領マルコスがアバデを追い落とすためにアントニオを差し向けたのである。(右の写真:星野医師(前列中央)と州立バタネス病院の関係者)選挙の2カ月前に保安部隊から地元出身者を他へ転勤させ、態勢固めをしていた。選挙当日、保安部隊とスズキ・ボーイズは共同作戦に出て、空港を閉鎖、無線使用を止めさせ、幹線道路を遮断した。選挙に外部からの圧力がかからないための配慮(?)だった。各投票所にはスズキ・ボーイズが詰め掛けて選挙民たちに「アントニオに投票を」と呼び掛けた。いよいよ開票のときが来て、投票箱から1枚の票を取り出した係りの男が黒板の前に立った男に向かい、声高く読み上げた。「アバーデ!」。するとスズキ・ボーイズの1人がこの男の背中に固いものを押しあて、ドスのきいた低い声で、「アントニオと言え」と脅した。男は後を振り返り、ボーイがピストルを突き付けていることを知ったが、それでも次の票を読み上げた。「アバーデ!」。事情を知った場内の人たちが一斉に叫んだ。「出て行け、スズキ・ボーイズ!」アントニオは選挙妨害など92件の罪で告発され、マニラの最高裁まで送られて有罪の判決を受けたが、マルコスの恩赦を受けて釈放された。しかし、この事件はバタネスの人々が理不尽な暴力に屈しない独立心の強さと教育の高さを証明することになった。 

Batanes Island 1
Batanes Island 2
Batanes Island 4

Batanes Island 3

   バタネスへ行くと人々はよくスズキを口にする。それは自分たちの勇気を誇るかのごとくである。バタネスには名前がつけられた10の島があり(最北端はヤミ島)、このうち3つの島に人が住む。バタン、サブタン、イトバヤットである。中央にあるバタン島からルソン島まで160キロ、台湾まで140キロ、島々の散らばる海域は南北140キロ、東西60キロに及び、人口は1万6千人である。それでも1つの州を形成し、州都はバタン島バスコ町である。この島々は太平洋と南シナ海を隔てるダムの役目をしており、両方の海面の高度差が激しい潮流を作る。特にバーシー海峡は有名である。その上普段でも強風が吹いているので航空機と船を使うルソ島との交通は困難で、風が穏やかな3、4、5月の夏が人と物の往来する期間になっている。穀物や野菜が育ちにくいので、産業といえば牛を飼うこととニンニクの栽培である。そのほか、というより、いちばんの頼りになる産業(?)は出稼ぎである。だから海外に出かけても人に負けないように教育を重視して来た。識字率96%、英語を解する人98%という驚異的な統計がそのことを如実に示している。

   毎年、ミス・フィリピンにはこの島の出身者が選ばれるという美人の産地でもある。スペイン系と中国系が多い土地柄だからでもある。私は1989年1月16日、マニラからカガヤン州トゥゲガラオまで飛び、そこで双発プロペラ機に乗り換えてバスコに到着した。小さい空港は草野球のグランドに似ており、その端に簡単な観覧席があって出迎え人が待っていた。私が降りたって行くと、白衣を着た大柄な女性が寄ってきて、「ドクター・ホシノ?マニラから来た?」と尋ねた。それはフィリピン看護協会バタネス支部長のアニシア・ホントミン夫人だった。ふっくらとしたタイプの、30代の美人で、州立バタネス病院の看護婦長でもあった。「こちらはドクター・ロメオ、州保健部長です」と彼女が紹介したのは小柄で人懐っこい40前後の男性だった。私が訪問した目的は、この州でもハンセン病対策を始めてもらうため、保健担当者の教育を行うことだった。マニラの保健省では、「地方の役人に頼むな。民間団体の協力を頼め」と言われたので、看護協会に協力を依頼することとし、ホントミン夫人に何度か手紙を出して協力かたを依頼していた。空港には看護協会の関係者が大勢出迎えていた。噂通り明眸皓歯、背が高く色白の美人揃いだった。
   ロメオ・バラヤン保健部長は州立病院長を兼ね、木造平屋建ての古くて粗末な病院には彼のほか3名の医師が常駐していた。彼によれば、「保健施策は徹底していて、予防接種率は100%、家庭の水道供給率100%、水洗トイレ普及率99%」と胸を張った。ハンセン病について尋ねると、「登録患者が36名いて、このうち23名は治癒した。残りの13名は薬がないので治療を中断している。マニラで訓練を受けたハンセン病対策コーディネ-ターのニコラス先生が他へ転勤してからは、残念ながら対策が進んでいない。『衛生監視人』という職種のエディ青年がいて、これは父親が長いこと、この仕事をして亡くなったので後を継いだ。しかし、仕事の内容を良く知らない。本来の業務は死体処置を監視して病気が伝染しないようにすることだが、このような仕事は滅多にない。それでハンセン病患者の発見・登録・フォローをしてもらっている。この州でハンセン病を担当しているのは何も知らないエディだけだ」とのことだった。当日はロメオ先生の案内で病院と町の見学をし、州庁で知事に挨拶してから、病院が借りてくれた1軒の民家に泊まった。町の中央広場に面した古い木造平屋で、他に誰も住んでいない。 文+写真星野邦夫

『バタン漂流記―神力丸巴旦漂流記を追って』臼井洋輔著(叢文社刊2001年)2,800円
   1830年、マニラが国際港として開港しようとしたその頃、米を積み岡山城下を出帆し江戸に向かっていた神力丸が嵐に巻き込まれ遭難、68日間の漂流の末、バタネスの無人島イブホス島にたどり着いた。島民に温かく迎えられ2年間を過ごした後、鎖国日本に帰国した。奉行所は半年にわたって漂流者を取り調べ詳細な漂流記録をまとめ上げた。備前藩主池田家に伝わっていたこの漂流記を見つけた著者(岡山県立博物館学芸員)はバタン島を訪れる。そこには日本とのつながりをみせる木製そりや壺などの生活用具があった。そして著者は、漂流を追体験しながらバタン島の生活と文化、海上の道と黒潮文化、そして日本の関連を考察する。「傾斜した滑走路」の話は本書より。

『マガンダ―フィリピン街道●諸島編●』日比野宏著(凱風社刊1996年)1,800円
   「マガンダ」はフィリピン語で「美しい」。著者は南のサンボアンガから北端まで、ジプニーとバンカに揺られ、村人とジンを飲み、屋台で飯を食い、ポン引きと友だちになる、そういう旅をしながらマガンダ国フィリピンがとても好きになった。日比野さんはおそらくバタン島の旅行記を書いた最初の日本人だろう。本書の「北の果てのさらに向こうへ」がそれだ。イロコス州ラワッグを経由してバスコに着く。「昼下がりの『バスコ』はしーんと静まり返っていた。私はいまだかつてこんな静かな町に来たことがなかった。...いままで見てきたフィリピンの島々とは、まったく様相がちがっていた」。更に木製の小舟で4時間以上、船酔いをこらえてイトバヤット島に行く。そこはいよいよ飯屋もホテルも店もない、人間が住んでいる最北端の島だった...。

ナビ・マニラ第1号[NaviManilaVol.1]より

INFORMATION ● バタネス州
   星野医師が約20年前に足を踏み入れたバタネス(バタン諸島)は、マニラから見れば最北端の「絶海の島々」ということになる。バタネスはイトバヤット島、バタン島、サブタン島などのちいさな島々で構成されており、常に台風の通過地でありかつ地震の多発する島である。マニラ新聞には「ルソン地方北部バタネス州で地震を観測。震源地は同州バタン島バスコ町の西約**キロ沖の海底」「比気象庁によると台風はバタネス州を通過し台湾諸島方面に抜ける」などの記事をよく目にする。
   イトバヤット島のさらに北には4つの無人島があり、最北端がヤミ島である。そのすぐ先は台湾の領海になる。興味深いことにバタン島民は、台湾最南の蘭嶼(ランユー)島のヤミ族や「高砂」の人たちとそっくりの話し方をするそうだ。フィリピンの東海岸から発し北上して日本列島を通り抜ける強力な黒潮海流がこうした文化的なつながりを育んだらしい。
   バタネス州の州都はバタン島のバスコで、この地に武装した遠征隊を繰り出したスペイン人のバスコ・イ・バルガス総督の名前からきている。当時、ジャワ島と「フォルモサ」と呼ばれていた台湾島に覇権を広げつつあったオランダへの対抗上、バタネスの植民地化は戦略上重要だった。このバタン島には富士山のような標高1,800メートルのイラヤ山がそびえている。晴れた日には海のはるかまで見渡すことができ、大航海時代にはガレオン貿易船など交易船の灯台役も果たしたという。
   現在、バスコにはマニラからAsian Spirit航空の直行便が出ている。運航日は月、水、金曜日の週3便で、飛行機は17人乗りのプロペラ機。でもいつも満席だ。他にフィリピン航空のトゥゲガラオ経由便もある。余談だがバスコの飛行場の滑走路は山の裾にあるため傾斜がついているらしい。着陸の時は山に向けて突入するため自然のブレーキがかかって減速し、逆に離陸の際には海に向け坂道を下るように急加速するため離陸の推力が容易に得られるという具合だ。
   バタネスは近年、観光地として人気を集めている。暴風に耐える石を積み重ねた家壁、野生のヤギ、緑の丘陵地、広大な牛の放牧場、その向こうの断崖絶壁、白亜の教会堂、頂上に雲がかかるイラヤ山の孤峰…。これらは他のフィリピンとは明らかにちがった様相でたいへんに興味をそそられる。その他、スペイン時代の旧跡、ヤシ蟹はじめ珍しい魚介類など、ユニークな島の文化や景観が注目されつつある。

バタネス見どころマップ Batanes Map
bottom-banners-bw 02 bottom-banners-bw 04 greyfooterbutton 03 facebook bottom-banners-bw 08
denwacho 2015 cebumapbanner Cebu City Tour navimanila23 dmsweblogo