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第20回(最終回) 閉ざされた地アブラ

フィリピン医療ボランティアの旅 1988年9月 By: 星野邦夫   ABRA-1988 By: Dr. Kunio Hoshino

村落間の平和協定で銅鑼をたたきながら踊る村人

 アブラとは「開く」、バンゲッドは「閉じる」を意味する。アブラ州都バンゲッドとは「開かれた地の閉ざされた町」ということになる。実際はアブラ州は閉ざされた土地である。州の中央を80キロに亘って流れるアブラ川は両岸を急峻な山によって挟まれ、舟の往来を許さない激流となってビガンまで流れ下る。近年になってトンネルが開通し、自動車が通えるようになるまで交通は不便であった。それにしても州庁所在地のバンゲッド町へはビガンから直線距離にして25キロしかないのに、迂回して50キロの山坂道を辿らねばならなかった。 
写真提供: 杉井信氏(宮城学院女子大学 准教授)


田起こしをする水牛と農民 1988年9月20日、私がシンソン女医先生の乗用車に送られてバンゲッド町役場前で待っていた清水利春さんのところに着いたのは昼近くであった。
 バンゲッドはアブラ川沿いの、山あいの幅10キロ、長さ20キロの盆地にある田舎町である。
 清水さんのジープに乗り移り、川を越えて10キロほど奥地に入ったラガンギラン町に向かった。そこに彼のこじんまりとした木造の家があり、私はそこに泊まることになっていた。家は国立理工科大学アブラキャンパスの構内にあり、清水さんは日本のオイスカから派遣され、地元の青年たちに日本式農業技術を教えていた。ここから奥は1500メートル級の山々が連なり、人が登って行く道はあるが、車が通ることは不可能であった。
 奥さんの心づくしの昼食を頂いてから、2人は再びバンゲッドの町へ出掛けた。
 まずアブラ州保健部長のアベンシオ・オルドニャ先生を訪問した。大柄で精力的な部長が語った。
 「州の土地の90%は山地である。6~10月の雨季は山に入れない。乾季でも人は徒歩で山中の村へ行かねばならず、途中で日が暮れたら、野宿を覚悟せねばならない。ポーターを頼めば、1日荷物1キロあたり4ペソ(約20セント)かかる。だから旅人はテントや食料、銃など必需品しか持参出来ず、薬品やワクチンを運ぶことは困難である。従って保健施策は実行されていない」と、彼はため息をついた。そして苦渋に満ちた顔をして言葉を継ぎ、「問題はそればかりでない。共産反乱軍や山賊の跋扈(ばっこ)が目にあまる。それに加えて保健担当者の人材不足と予算の欠乏がある。
 アブラ州人口18万、27町村があるうち無医村は21である。昨年度の1才未満乳児死亡率は1000出生につき35.2で全国平均20.9に比べると一段と高い(日本では1978年度に8.4であった)。
稲の穂刈りをするアブラの農民 村人の間には栄養失調、マラリア、結核、伝染性下痢症、ハンセン病が蔓延している。ハンセン病の登録患者数は202名だが、これは氷山の一角。発見活動を行えばもっと増える。たとえば、ここから40キロ南東方、サポコイ山の中腹のダナックという村では村民の8割がハンセン病に罹患しているという噂である。フランス出身のピエール・トリッチェ神父は患者のために献身的奉仕をしているが、この方の報告では、『山の村々ではハンセン病の登録患者1人につき家族の3人が感染している』という」と、恐るべきことを告げた。
 部長はロータリークラブが保健担当者の講習会を支援すると知り、本年7月11日から9月7日まで、ほぼ2ヶ月に亘り講習会を実施した。資金はまだ受けとっていないので、手当てなどは未払いとのことであった。
私は部長に教わって、今年度のバンゲッド・ロータリークラブ会長の開業医コンスタンテ・クラゲン先生を訪ね、合意書にサインしてもらい、セブに帰り次第講習会の費用を送ることを約束した。
アブラの山村 次いで前年度会長のクリスチャン病院長ベン・ブリンガス先生を訪ねる。フィリピンでクリスチャンとはプロテスタントを意味する。私はセブにある同系列のコミュニテイ病院長ビル・ブオット先生から紹介を受けて何度も手紙を出したが、返事を貰っていなかった。「診療に追われて返事を出すヒマがなかった」と髪の毛の薄い、大きい頭をなでて謝った彼は、「3~5月の乾季に医療キャラバンを組んで村々を診療して回ったので、留守にしていた」と告げ、証拠に山中で撮った写真を見せてくれた。「来年は君も来い」と言われて私は「足が弱くて」と尻込みした。写真に出ているような胸突き8丁の山道を重いリュックを背負って踏破する自信がなかった。「君が来なくてもボクは行く。そしてハンセン病患者の治療をやるから任せてくれ」とベン院長は厚い胸をたたいて保証した。清水さんの話では、「自分の子供たちは具合が悪くなるとベン先生に診てもらっている。評判の良い病院でいつも混み合ってある」とのことだった。
 その晩、町なかのレストランでオドニャ部長、コンスタンテ会長、ベン院長、その他ロータリーの有志が集まり、私の歓迎会を開いてくれた。席上会長が私を見詰めて言った。「ヘリがあったらな」。ヘリコプターさえあれば、ハンセン病患者発見のための医療チームを村々へ送り込める。それに急病人の搬送が可能になる。アブラ州民はどんなに助かるか分からない。「ヘリを買う金はないけど」と私が言った。フィリピン国軍に頼んでヘリを出動させる手はある。「ツテがないことはない。努力してみましょう」

 9月22日、私はマニラ首都圏ケソン市のビアクナバト・シランガン・ロータリークラブ会長で、在郷軍人会の役員をしているオリバー・アラゴン氏に付き添われて、キャンプ・アギナルドにフィリピン国軍参謀次長に面会することが出来た。アブラ州の実情を話し、「必要に応じて軍のヘリを借用したい」と懇請すると、「州保健部長から要請があれば、いつでも出動させる」と確約を貰った。
 私がこの朗報をバンゲッド・ロータリークラブに伝えたことはいうまでもない。(了)

肝臓を見て吉凶を占う山の少数民族
車をいかだに積んでアブラ川を渡る
アブラ川をいかだで渡る地元民
鍋を囲んで雨乞いの儀礼悪霊除けをする村人山間部の少数民族の村で
ほしの・くにお

 1933年生まれ。外科医。1985年、ロータリークラブの世界社会奉仕委員長として訪比しセブのバンタヤ島の医療現場を視察した。その時、島の山中に「食事も薬ももらえないので死んでしまう」とセブ国立らい療養所から「集団脱走」して身を隠している多数のハンセン病患者がいるという事実を知らされ、衝撃を受ける。以来10年間、笹川財団(現・日本財団)、国際ロータリークラブの協力を得て、自費で生活諸経費を負担しながらの献身的なボランティア活動を行う。北はバタネス島から南はスルー諸島のムスリム地域まで、文字通りフィリピン国中を行脚しながら患者の割り出しと投薬治療に奔走した。1992年〜94年までマニラ日本人会診療所に医師として勤務。現在、マカティ市でリタイアメント生活を送る。ボランティア医療の経験を題材にした短編小説に『セブの聖たち』、『魔の島クリオン島』、『マニラ・いのちの行進』(いずれも未発表)がある。千葉大学医学部卒、プロテスタント。

北ダバオ州サマール島の診療
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