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戦前の日本人移民とハロハロ

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   フィリピンの庶民にとって「ハロハロ」は大好物のひとつ。そのルーツは明治時代、ベンゲット道路建設工事終了後も仕事がない日本に戻らず、比島にとどまった日本人移民の多くはダバオのマニラ麻農場で働いたが、ほかに各地へ散らばって行った人がその地で生活の手段として広めたものだという。
   その真偽のほどを探ってみたくて史料を調べてみた。明治36年(1903年)6月9日付在マニラ帝国領事館報告「マニラ市在留本邦人職業別」によると、当時の在留邦人数は約900人(男590人、女310人)。ベンゲッド道路建設のための集団移民が始まる直前である。
   そしてマニラ在留邦人(710人)の職業は大工230人、漁夫50人、酌婦(カラゆきさん)270人などとなっており、その中に「アイスクリーム店・5店」「アイスクリーム擔(にない)商人・2人」の記載もある。日本人がすでにアイスクリームに着目していたらしく、「擔商人」は天秤(てんびん)棒を担いだアイスクリームの行商人と思われる。炎熱下での行商は日本人なればこそではなかったろうか。
   また、昭和12年(1937年)度版「比律賓年鑑」によれば、当時セブの日本人町には何軒もの「モンゴ・ストア」があった。戦前からフィリピンに居住されていた大澤清氏の著書によく出てくる「モンゴ屋」がこれである。現在、モンゴと言えば青モンゴが大半だが、赤モンゴも売られている。赤モンゴはアズキに酷似している。
   セブ在住の日系二世、太田・マニュエラ・宮子さん(86)は、モンゴ屋は「氷あずき」を売る店で、それは、かき氷に赤モンゴ豆を入れた「金時」とよく似たもので、値段に応じてナタデココやアイスクリームがついていたと話してくれた。こうした事実を重ね合わせると、これがハロハロのルーツで、「ハロハロ屋」イコール「モンゴ屋」といっても間違いなさそうだ。 モンゴ屋は清潔第一できれいな服装をした日本人経営のストアが一番はやっており、日本人、フィリピン人の別なく、おしゃべりを楽しむ庶民の「社交場」だったそうだ。
   遠い昔、日本人が種を蒔いて育てた「ハロハロ」が、フィリピンの庶民の大好物として残っているのはうれしいことである。
「それにしても…」と、太田さんは声を落として言葉を続けた。「モンゴ屋での日比交流も、私の大事な家族も、みんな戦争でなくしてしまった」。フィリピン人の友情に支えられながら、彼女は現在、病床で老後の生活を送っている。
(岡 昭、SNN代表、セブ在住)

ナビ・マニラ第8号[Navi Manila Vol.8]より

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