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「ツネイシ・セブ」 企業城下町方式

tsuneishi
   セブ島は、南北に細長くサンゴ礁が隆起してできた石灰岩の島だから、大木の生い茂る原生林はほとんど見られない。ただ、中央部の山岳地帯はセブ島で一番高い「マヌンガル山」をはじめ、高低の落差が激しい山々が連なっている。東側のセブ市からネグロス島に面した西部海岸へ行くには、この中央山岳地帯を横断する完全舗装道路を利用すると約1時間半でバランバンの町に到着する。
   ここには日本でも有数の造船企業、常石造船カンパニー(本社、広島県)のセブ子会社と工場がある。私は数年前、同社を訪ねる機会があった。
   小さな海辺の町、バランバンは昔は何の取り柄もない平凡な漁村だったらしいが、ネグロス島側からセブ市へ行く道筋として大事な要衝なのか、太平洋戦争中はセブ島唯一の実戦部隊、「大西部隊第4中隊(川原隊)」が駐屯していた。支那派遣軍から転戦した精鋭部隊であった。
   セブ市内の西北にあるマルコポーロ・ホテル(旧セブ・プラザ)の横から曲がりくねった山道を登って行くと、頂上近くでブサイ村に達する。ここを過ぎると標高742メートルのババック山(日本軍名「天山」)に差しかかる。そこからバランバンまで長い長い下りになり、道中、米比連合ゲリラ軍の司令部があった「タブナン」村を通過する。霧が立ち込める 山の尾根から谷底へかけて余り人も住まない寒村だ。「なぜ日本軍はこんなところまで来て、飢えに苦しみ死を覚悟して戦争をしたのか」と、感懐ひとしおだ。
   途中にそびえる、ひときわ高い山が「マヌンガル」(標高900メートル)だ。戦後の大統領で唯一人、国民の誰からも愛され信頼された「マグサイサイ」が、1957年、不慮の航空機事故で死んだ山として知られる。
   山々の連なりを抜けると、眼下に突如として巨大なガンター・クレーン数基がそそり立つ近代的なドックや工場群が目に入って来る。「江戸時代」から「IT時代」にタイムスリップしたような感じで眼をこすりたくなる。
   町並みは私が初めて車で通った30年近い昔とほとんど変わらないが、街道筋から折れて工場の正門を入ると、「国も時代も代わった」とあらためて感じる。「ツネイシ・ヘビーインダストリーズ(セブ)社」 は有名な比内航海運最大手のアボイティス社との合弁企業だというが、実際は常石がコントロールしている。
   私は若いころ、当時のイメルダ・マルコス大統領夫人が大臣をしていたDSWD(社会福祉開発省)所轄のTRC(科学技術庁)という役所で合弁企業のコンサルタントをしていた。私は元気一杯で、「日本の大手企業は比の田舎町に『企業城下町』を作れ」「日本の中小企業は都市郊外の『輸出加工区』に入れ」と助言していた。
   今では「川崎製鉄」がミンダナオ島タグロアン町に、「花王」が同島ハサアン町に、「ミツミ電機」がセブ島ダナオ町に、「常石造船」がセブ島バランバン町に立地し、日本の企業城下町のような経営スタイルを取り入れている。地元の地方自治体社会を尊重し、一心同体の経営理念を体現している。
   当時のツネイシ訪問では河野健二会長、綿谷伸二社長にお会いしたが(今は森賢一会長、河野仁至社長)、地元に小学校を建てて寄付し、高校・大学まで誘致するプランを着々とお進めだった。近く病院の建設も予定されているそうで、建物や設備を寄付し、経営は地方自治体に委託する方式らしい。こういう運命共同体のような企業と地元の人々が将来、対立するはずはない。
   「ツネイシ」の総従業員数は5000人を超えたが、その8割が下請け企業従業員という形態だそうだ。そして1隻数万トンの巨大タンカーやコンテナー輸送船を年間、14隻も建造しているというから、毎月1隻強が進水している(数年前)。ミンダナオ島の「川鉄」「花王」、セブ島の「ミツミ」「常石」も、地元市町村と一体になって事業計画を進めてきたというが、労使の調和がとれた事業を外国でやれるのは、何といっても日本人だろう。
   日本人の先進的な技術者たちが努力している結果だと思うが、こうした人々も不自由な田舎住まいに「島流し」的な感じを夜中にフト感じることもあろう。しかし、河野会長は「どんな田舎でも、『住めば都』ですよ。むしろ工場立地がセブ都市圏でなかったからこそ成功したのです」と漏らされた。こういう自信に満ちた工場幹部の存在が成功の原点だと思う。
もう十数年も前だが、常石造船カンパニー本社の5代目社長は常に四方に目配りされておられた。「セブ近海で鯨の潮吹きが見られる」そうだから、「観光資源にならないか研究しろ」と言われた若い社員が、冷やかし気味に「雑学の大家」と言われていた私のところへ情報を聞きに来た。セブ島に長く住む我々でもくわしくない「鯨の潮吹き」を地獄耳で捉え、商売の種にせよとスピード指示されたことにビックリした。
   同社長は造船所建設を比国の前に他の2カ国で手がけたが、うまく行かなかった苦い経験を持っていたらしい。企業の外国進出の成功の鍵は地方での「企業城下町」方式で、住民全部にメリットを与えていくということではなかろうか?
(岡昭SNN代表)

[おか・あきら]
   1957年に戦後賠償機械の民間転用についての日比政府間プロジェクトに参画して初めて来比、以後、ジェトロの市場調査員、比政府機関の技術コンサルタントなどを委嘱されてフィリピンに定住、83年に家具・雑貨の専門商社「AQRA」を創業、フィリピン全土を歩く。セブ日本人会会長を延べ10年間務めて、現在、非営利法人(NPO)「新日系人ネットワーク(SNN)」理事長、日刊マニラ新聞セブ支局長。在外邦人生存者叙勲「単光旭日章」受賞。

ナビ・マニラ第7号[Navi Manila Vol.7]より

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