リゾートアイランド・セブのこだわり生活情報誌
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セブの宗教

1マゼラン隊の神父から住民が洗礼を受ける場面が描かれている天井画セブ市内の観光名所マゼランクロス
■ [セブにスペイン艦隊が上陸]

 1521年、マゼラン探検隊はセブにたどり着き、セブ(当時は「スブ」と呼ばれていた)を治めていた首長、フマボン王とその一族、重臣ら約1300人の改宗に成功した。フィリピン人の洗礼第一号である。スペインは上陸の際には船の空砲を鳴らして島民をまず怖気づかせた。島民たちはそれまで、病気を治したり悪霊を取り払ってくれると信じている木製の偶像をあがめていたが、洗礼の後、スペイン人はこれらの偶像を燃やしたり神殿を破壊した。数日間で先祖の信仰を捨てさせるためには強硬な手段がとられた。

2サントニーニョ教会で行われる早朝の荘厳ミサ
■ [王妃に赤ん坊のキリスト像を贈る]

 そのフマボン王妃に、洗礼のしるしに贈ったのが赤ん坊のサントニーニョ像であった。王妃はマリア像よりもこの赤ん坊の像を愛でたという。これが今まで続くサントニーニョ信仰の起こりとなった。現在のセブ市役所前の観光名所「マゼラン・クロス」がその洗礼場所といわれている。海岸から数百メートルの距離にある。マゼランはその2週間後にマクタン島の首長ラプラプの懐柔に失敗、マクタンの海の浅瀬でラプラプ軍勢との白兵戦の最中に槍を受けて戦死する。しかし、その後次々と探検隊と称するスペイン侵略軍が来島し、武力で征服したフィリピン各地に教会と十字架を立て、カトリックの教えを広めていくことになる。
 サントニーニョをたたえる祭り「シヌログ」は、フィリピン中部のビサヤ地方最大規模の祭りで、毎年1月の第3日曜日にセブ市内で開催されている。またマニラ市のトンド地区でもサントニーニョの祭りが同じ時期に開かれている。

▶ [アジア最大のキリスト教国フィリピン]

 フィリピンは、アジア最大のキリスト教国。16世紀に始まったスペイン植民地化とともに宣教師が布教を開始、現在国民の9 割がキリスト教徒といわれている。カトリックがそのほとんどを占めている。各地に古い教会が残り、フィリピン人の一生は洗礼、結婚式、葬式、フィエスタ(お祭り)などキリスト教を抜きにしては語れない。
 復活祭(3月または4月の聖週間、イースターサンデー)、万聖節(11月1日、日本のお盆にあたる)、クリスマスが重要な行事であり、信者が教会を訪れ祈りをささげる。フィリピンは世界でクリスマス・シーズンが最も長い国とされ、月名に「ber」のつく9~10月ごろから街はクリスマス色を増していく。
 現憲法では政教分離の原則が定められてはいるものの、カトリックを中心とする教会の政治的、社会的影響力は強く、大統領選や政変の行方を左右してきた。近年はカトリック系の「エル・シャダイ」やプロテスタント系の「イグレシア・ニ・クリスト」などの宗教団体が、莫大な資金力を背景に信者数を増やし影響力を強めている。

▶ [独立を求めるイスラム教徒]

 ミンダナオ島西南部やパラワン島の南部、スルー諸島はイスラム教徒が住民の多くを占めている地域である。15世紀にはスルー王国などが建設された。スペイン人がマニラの城塞都市を築いた場所にはもともと、ラジャ・スレイマンというイスラムの指導者が治めていたイスラム王国があった。世界のイスラム教徒と同様にアッラーを崇拝し、金曜日にはモスクで共同礼拝を行う。マニラの下町キアポにはカトリック教会のすぐ近くに黄金色の丸屋根をもつ美しいゴールデンモスクがある。
 スペインによる植民地化に屈せず、アキノ政権下の1989年には、ミンダナオ地方南西部にイスラム教徒自治区(ARMM)が創設。総人口に占めるイスラム教徒の割合は5%程度とされ、ミンダナオ島に居住するマラナオ、マギンダナオ、イラヌン、スルー諸島に住んでいるタウスグ、ヤカン、バジャオなどの十数の民族集団に分けられる。イスラム国としての独立を求める武装勢力とフィリピン政府の和平交渉が現在も継続中。
 その他、ミンドロ島のマンヤン族などの山岳少数民族は、自然と深く結び付いた先祖精霊(アニート)信仰を守ってきたが、若い世代は町の生活と交わる中で、携帯電話を持ち、学校に通ったりキリスト教に改宗する人たちが増えている。

▶ [たびたびイスラム教徒の侵略を受けたセブ南部海岸の町]

 マニラもセブも、スペインが来る前はイスラム教徒の影響下にあったが、マゼラン探検隊から50年たってやってきたレガスピ隊長率いる最強のスペイン軍は、イスラム勢をこれらの地域から追い払い、ミンダナオ島に閉じ込めることに成功した。しかし、ミンダナオ島マギンダナオ州あたりにあったスルタンをいただくイスラム王国はたびたびビサヤ地方を襲撃し、町を破壊したり奴隷に売り飛ばすための人さらいを繰り返してきた。アメリカ時代に入って和平条約が結ばれて融和したが、それまで300年以上にわたってこうした略奪や襲撃が繰り返されてきたのである。イスラム教徒から見れば失地回復であったが、キリスト教徒はこれらイスラム海賊におそれおののいた。セブの南のオスロブ町には今も、「バルアルテ」(Baluarte スペイン語の「要塞」という意味)と呼ばれる石灰岩の構造物が残っている。対イスラム要塞跡である。
 イスラムの海賊船がやってきたら女子供は裏山に逃げこみ、男らは武装して要塞に立てこもった。そのほか、セブ島の西にあるネグロス島南部のドゥマゲテなど海岸沿いの町も同じような襲撃を受けてきた。サンボアンギータ(小さなサンボアンガ)と呼ばれる町が近くにあり、ミンダナオ島サンボアンガで話されていたチャバカノ語が、ひと昔前までこのネグロス島の小さな海辺の町で話されてきたという。

編集: 「ナビ・デ・セブ」 Navi de Cebu

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