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セブアノ(セブ族)について

マゼランが見た500年前のセブ族
  [スペイン人がはじめて見たビサヤ族]

セブアノ(セブ族)はビサヤ族の代表で、セブアノ語を話す人たちをさす。スペイン人がはじめて目にした原住民はビサヤ族であった。マゼラン探検隊、レガスピ探検隊ははじめて見る原住民の習俗や体型、かっこう、生活の様子を、好奇心と興味から偏見抜きの目線で克明に記している。それによると、当時(今から500年近く前)のセブアノは一般に、「すべて男も女も顔立ちが立派で性質がよく、ルソンやその近隣の島々の住民たちよりも素質や性質がよく、態度が高潔である」とその性格をほめた上で、男たちは体全体に手の込んだ刺青(ピンタドス)をし、細かな細工を施した金と象牙の派手な耳飾や腕輪で身を飾り、ふんどしをつけていたという。いっぽう、「女たちは器量がよくしとやかで、非常に清潔で、歩き方がゆったりしている。髪の毛は黒くて長く、頭に束ねている。腰から下にあらゆる色の布を巻きつけていた」とある。いまもセブの女性たちは、スイートで情に厚く(「マランビン」という)、スタイルがよく背筋を伸ばして悠然と歩き、また美貌が多いと評されることが多い。さらに、「島民は大酒のみだが、法秩序と度量衡を定め、平和と怠惰と静安を好む」ともある。セブにはすでに首長の率いる小王国があり、領民がよく統治されていたことがうかがえる。

現在では、「勤勉で倹約家」であるルソン島北部のイロコス人と比較してセブアノは、楽天的、享楽的などといわれている。おそらくマルコス大統領(イロコス地方出身)の妻イメルダさんがビサヤ出身(レイテ島)で、浪費癖が強くて派手好みだったことから、そうしたマイナスイメージが強くなったともいえる。しかし同じビサヤ族のボホール人のメードさんは「ビサヤのイロカノ」と呼ばれるくらい働き者とされている。評価は人によってまちまちであるのであくまで参考程度に。なお、フィリピンで最大のチェーン店をもつ質屋・町金融(ポーンショップ)は「セブアナ」という名前で繁盛している。
参照:「フィリピン諸島誌」(モルガ著)

  [フィリピンの民族構成はマレー系が最大]

現在のフィリピンの民族構成は大別するとマレー系、中華系、その他少数民族となる。フィリピン諸島最古の原住民は、狩猟採集や焼畑生活をするネグリト族で、約2万年前にフィリピンが大陸と陸続きになったころに渡来したとされる。現在もルソン島サンバレス州のピナトゥボ山麓に住むアエタ族などはこのネグリト系で、色が黒く低身長で頭髪が巻毛という身体的な特徴をもっている。現在のフィリピン人の多くはマレー系で、ボルネオ島や中国南部などから小船で渡来したといわれている。その後、スペインやアメリカ、中国との交易を経て混血が進み、メスティーソと呼ばれる渡来者と先住民との混血の階層が生まれてきた。ルソン島の南にあるミンドロ島のマンヤン族、ミンダナオ島ダバオ近辺のマノボ、バゴボ、マンダヤ族などはマレー人が渡来する以前からの先住民である。

 [ミンダナオ島のイスラム系住民]

フィリピン南部のミンダナオ島のバシラン島やホロ島、南ラナオ州、マギンダナオ州、スルー地方、タウィタウィ島の各地は現在も、イスラム教徒が住民の多数を占める地域である。各地にモスクがある。スペイン人がマニラの城塞都市を築いた場所にはもともと、ラジャ・スレイマンというイスラムの指導者が治めていたイスラム王国があった。キリスト教徒とイスラム教徒との紛争はその頃から始まったといえる。
マルコス政権のとき、1970年代からミンダナオはビサヤ地方の土地なし農民がどんどん入植し、開拓民が増え続けた。当然ながらもともとその場所に住んでいた先住民やイスラム教徒との間に摩擦が起こり、キリスト教徒のフィリピン国軍とイスラム教徒軍との内戦はいまもって収束していない。ミンダナオ島のイスラム地域は、外国人旅行者の渡航が禁止されている場所である。

編集: 「ナビ・デ・セブ」 Navi de Cebu

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