リゾートアイランド・セブのこだわり生活情報誌
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セブの映画館の変遷

文・写真:松本重樹(セブ在住)

映画館盛衰物語
浅草でまた映画館が消えた
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   その昔の東京・浅草六区は日本で有数の映画興行街で映画館は数多く連なっていたが、戦後のテレビの普及と共に寂れる一方だった。日本一高いスカイツリーが話題になってもお膝元の浅草六区の栄光は蘇らず、昨年秋、邦画と洋画を上映していた2館の名画座が閉鎖された。この2館は日本で現存する最古の名画座とあってファンに惜しまれたが、大人1200円の入場料で6時間近くも楽しませる商売よりは、貸しビルに建て替えた方が儲かる時代とあっては仕方がない。フィリピンの映画館も日本と似たような歴史をたどりつつあるので、記憶に残っている内に書き留めておきたい。

セブの映画館全盛期の頃

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   1990年代初頭、セブで映画を観ようとしたら、山の手一のお洒落な通りと自称したマンゴー通りか、昔からの盛り場、ダウンタウンまで行かないと映画館はなかった。他にもセブ市周辺の町に映画館はあったが、閉鎖寸前の侘(わび)しさが漂い、外人が一人では入りにくい雰囲気だった。
   マンゴー通りにはセブの草分けの日本食レストランが入っていたビルと、ファーストフード「ジョリビー」セブ1号店の隣のビルの2か所に映画館があり、「JFK」や「ボディーガード」(いずれもケビン・コスナー主演)などの人気作で館内は超満員。席に座れず最後まで階段に腰を下ろして観たから、あの頃がセブの映画館全盛だったようだ。
   ダウンタウンは、元々ジプニーなどで来る庶民層相手なので駐車場がないのが欠点、自動車の普及と共に客足が遠のいた時期もあった。しかしここには生鮮食料を扱うフィリピンでも有数の「カルボン市場」や在庫の豊富さと安さが売り物の商店が密集し、根強い繁栄を維持している。この地域には5~6館の映画館があったと記憶するが、ヒット作には昼間から若い観客が押し寄せて、あれは職がなく、暑さをしのぐための映画鑑賞で今も変わらぬ時間潰しだったようだ。それらの映画館も1993年前後に、シネマ・コンプレックスを備えた大規模モールがセブに出来、営業を始めると閉鎖に追い込まれて行く。

猛爆撃と艦砲射撃でも生き残ったダウンタウンの映画館

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1945年、セブのダウンタウンの破壊の跡。山の方には現在の州庁舎が写っている
*赤い○印=ヴィジョン・シアター。その前の道がコロン通り
*黄色い○印=セブ州庁舎(1938年竣工)
*青い○印=セブ・ノーマル大学(旧セブ師範学校)、戦時中の日本軍憲兵隊本部
何れも現存する建物
   1945年3月26日、アメリカ軍はセブ市南にあるタリサイの海岸に上陸。対する日本軍は陸軍第35軍を中心とする1万5千人余。アメリカ軍は物量に物をいわせた空爆、艦砲射撃で徹底的に敵側を叩いてから上陸する戦法を採るので、どこも焼野原が広がり、終戦直後にセブ上空から撮られた写真がその凄まじさを証言している。この写真を見るとスペイン様式の建物が連なり「南のクィーン・シティー」と栄華を誇ったセブ市の面影は全く消え失せ、徹底的にやられたのが分かる。写真中央に、左から右に走る道路はフィリピン最古の道路として名を残す「コロン通り」で昔も今もダウンタウンの中心を構成する。この通り沿いで奇跡的に破壊を免れた建物の一つに1920年竣工の「ヴィジョン・シアター」と呼ばれた4階建ての映画館がある。
   1990年代に私は2度ほどこの映画館に入ったことがあって古めかしいロビーは印象的だったが、中は普通の映画館よりかなり暗かった。後で知ったが、この暗がりを利用していかがわしい行為をする客が集まる場所として有名で、普通の人は敬遠する映画館だったが、上映していたのは普通の映画だった。
   現在映画館は閉鎖。内部から失火したこともあったが、各種の店や営業所が入り、海賊版のDVDを売る店もあって妙な感じを与えるが、建物正面のレリーフのあるたたずまいなどは竣工当時と変わらず、セブの歴史を語る建物として残したい。

ダウンタウンにあった映画館の映画チラシ

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   ヴィジョン・シアターのあるコロン通りを挟んだ向かい側、レガスピ通り角に「オリエンテ・シアター」がある。ここは1895年開業でかなり老舗になるが、先の爆撃で跡形もなくなってしまい、その後、再建し、ここにも私は1990年代に何度か足を運んだ記憶がある。中に2館あったが片方は閉鎖し1館のみ営業中で、現在大ヒット中の「アイアンマン3」を上映中なので、まだ映画館としての命は保っている。この映画館の正面は改装されてしまったが、以前はアール・デコ調のデザインと濃い黄色に塗り分けた外壁を持ちコロン通りで異彩を放っていた。
   1898年のパリ条約でフィリピンはグアムなどと共にスペインからアメリカの植民地となったが、こういった歴史のある映画館が残っているように、フィリピンは早くからアメリカナイズされた国だった。例えばアメリカを象徴するコカコーラも昨年「フィリピン100周年」を祝っていて、日本でいえば明治最後の年にコーラが飲めたから日本よりはるかに進んでいる。ちなみに私のコーラ体験は1960年東京・晴海で開かれた「宇宙博」の会場で、1962年からコーラのテレビCMが白黒で始まったような時代だった。まだラムネやサイダーが日本では全盛、コーラは「薬臭い」といって飲めなかった人が多く隔世の感がある。
   写真のチラシはセブの元刑務所を博物館にした「スグボ博物館(Museo Sugubo)」に展示していたもので、1953年制作の西部劇「The Naked Spur」。日本では「裸の拍車」という題名で公開された。チラシの一番下に上映日が記載されていて、木曜日から月曜日までの5日間の上映で毎日でなかったのが分かる。この映画の主演、ジェームズ・スチュワートは同年に「グレンミラー物語」を撮り、1941年「フィラデルフィア物語」でアカデミー賞主演男優賞に輝いている。またミステリー物の巨匠ヒッチコック監督に重用された俳優で、チラシに載っている共演者のジャネット・リーはヒッチコックの1960年制作の「サイコ」に出演している。こうして読み解いていくと、読んでは簡単に捨てられてしまう映画チラシも半世紀以上も残っていると価値が出てくる。

今時のセブの映画館

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   しばし、時代をさかのぼったが、最近拙宅の近所にモールが開業し、そこには2つの映画館がある。時々、スリッパがけで家人と観に行くが、客の入りは少なくこれで大丈夫かという感じがしないでもない。最新作のDVD海賊版が3枚100ペソ(約230円)で簡単に買えるようなフィリピンではやはり、映画館まで足を運ぶ時代ではなくなったかと思ったが「アイアンマン3」を上映したら入場前に並ぶような列が出来て盛況、公開も延長に次ぐ延長となった。映画の内容はともかく、やはり大画面で観る映画は客を集めるのだと安心するが2館とも「アイアンマン3」上映、他のモールでも全部が「アイアンマン3」ばかりというのがあって、さすがに興行ととはいえいい加減にしてくれといいたくなる。こういった集客目的で作られたモールの映画館、先に書いたような時代を背負った映画館になるにはかなり役不足である。(まつもと・しげき)

 「ナビ・デ・セブ」第4号[Navi Cebu Vol.4]より

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